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2025年の思い=「自分に還る」
年が明けて2025年。
ことしの目標とすべき「在り方」について申し述べようと思います。
本来であればそんなことは自分の胸の内に秘めていても良いのですが、なんのお断りもなく容子が違った動きをすると、これまで私・いぬいゆうたに関わっていただいた皆様に訝しく思われることもあろうかとおもい、ご挨拶をさせていただこうと思います。
「note」というプラットフォームとの向き合い
2021年の5月にnoteアカウントを開設してから、様々な方々との出会いがあり、交流が広がりました。私もこれまで積極的にクリエーターのみなさんとの関わりあいの機会を深めるべく、前へ前へと突き進んできたように思います。
その間にはエッセイのコンテストで入賞させていただいたり、自作の長編(中編?)小説を書き上げたり、と自分としては一定の成果を残すことができました。
また、みなさまとの交流を深める中で作品朗読の機会をいただき、「朗読者」としての研鑽を積むこともできました。
そうした意味ではnoteと、私に関わっていただいたみなさまには深い感謝の念を抱いております。
ただ一方で、この場所での「自分の在り方」に疑問を抱くようになりました。ひとつはnote自体が「朗読コンテンツ」との親和性が低いプラットフォームだということ。
自分がやりたいことの中心はやはり「朗読」なのだと思い至る中で、ジレンマを感じるようになりました。
これまではみなさまとの関わり合いの中で興味関心を持っていただくことで「朗読コンテンツ」に触れていただいていましたが、自分自身のやりたいことを突き詰めた結果、よりシンプルな形で「朗読で勝負する」ことに注力したいと思うようになりました。
つまりは「動画・音声配信プラットフォーム」を主戦場として戦うスタイルにシフトしていきたい、ということです。
「ネットの中」の難しさ
noteに限らず、社会には様々な主義主張、考え方の人がいます。そうした多様性は尊重されるべきで、それぞれの人がそれぞれの居心地のいい場所で生きていくことが望ましいといえるでしょう。
現実世界では自分とは考え方が違ったり、モノの見方が違う人がいたとしても物理的に距離を置くことでお互いのエリアを侵害せずに暮らすことが可能です。
しかしSNSプラットフォームの中ではそのようなことが難しい側面があり、ある種の「息苦しさ」を感じて去っていく人も少なくないように感じます。
「note」に依存しないモノづくりを模索
この3年半の間、「noteという場」を得たことで私のモノづくりのモチベーションは爆発的に向上しました。
そしてそれ故に、いま改めて、「自分に還る」作業が必要なのだと考えます。
つまりは「朗読者としての自分をリブランディング」していく。
さまざまなものを、もう一度、組み立てなおしていく。
こうしたことから思いを馳せるに、2025年の私のnoteの使い方は主に「制作物のお知らせ」などになっていくように思います。
……あ、「さっぽろ暮らし」シリーズは気分転換に続けようかな。
noteでの新規の朗読募集・受付は、当面は実施いたしません。
(現時点でお受けしているものについては、制作いたします。また、事前協議の上でコラボする場合などは除きます)
目指すのは「受けとめる・乗り越える」強さ
このような形にシフトすると、noteでの発信力は下がり、私のコンテンツへの関心度は今よりも下がっていくことになるでしょう。
しかし、自分の目指すものが何かということを考えた時、向こう岸へ渡るために冷たい水をくぐる覚悟も必要なのではないか。そう思うようになりました。
私ごときの独り言を、ここまで読んでいただいた方には改めて感謝申し上げます。
この記事は、お別れの辞ではありません。
そして、確固たる決意表明とも少し違います。
いうなれば行動指針。
わたしの「note」の捉え方と使用法について、基本的な考え方を記したものということになります。
ま、いつか考え方が変わるときがくるかもしれませんw
その時は、頭をかきながらこっそりと別の使い方をしているでしょう。
多少の失敗や間違いがあったとして、命までとられるわけじゃなし。
変節もまた人生のありようと笑ってくださいな。
ではまた!