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「カラビ=ヤウゲート 深淵の悪魔」/第十四話
通りに沿った建物には、普段と同じように明かりが灯っている。が、窓に人影はない。車道には乗用車が行きかっているが、車内は無人。どこかのテーマパークのようだ、と紅林は思った。
ふと思い立ち、行き過ぎる車のサイドミラーに左手を伸ばす。が、ミラーは何の抵抗もなくするりと手のひらを通り抜けた。
やはり、か。
櫻田は言った。
「あなたは、自分以外の人間を認識することができません。それに伴い、あなたの周辺の物理法則も変更され、あなたは人間の営みにまつわる物体に接触することもありません」
その通りの現象が発生している。このまま人間を認識できぬままに、自分は死ぬのだろうか。
この状況から脱するための方法は、なにかないのか。
目立つところに文字や絵を描く?大きな事件や事故を起こす?・・・いや、無理だろう。自分はいま、幽霊なのだ。なにひとつ干渉できない状態だ。
ならば、自分を認識できる存在を探すしかない?
「・・・ははは。バカらしい」
紅林は声に出して笑った。これではまるで、自分を認識できる霊能力者に群がる幽霊そのものではないか。・・・だが、もし自分を認識できる存在がいるとすれば・・・それはやはり一人しかいない。
ふいに紅林の脳裏に、ある光景が浮かぶ。
陽光きらめく公園。しぶきを上げる噴水。
けたたましい犬の鳴き声に振り向くと、転んでいる少女の姿が見える。
スカート姿の左膝から血が滲んでいる。
「大丈夫?これ使ってよ」
学生ズボンの左ポケットから青いハンカチを引き抜き、少女に差し出す。
「・・・ありがとう」
まだあどけない少女の顔に、恥じらいと感謝の思いが浮かぶ。
・・・ああいつか、また出会う。この少女と。
その予感は10年後に、現実のものとなった。
もしも『運命』と呼ぶべきものが、この宇宙に、この世界にあるのならば、それにかけてみよう。それでダメなら、仕方がないではないか。
紅林の心に平穏と静謐が戻る。それは諦観ともいえるものだった。覚悟を決めた紅林はゆっくりと歩き出した。
☆☆☆☆☆
北都大学から自宅に戻るタクシーの中で、恋河原は堀川から預かった写真を見返していた。
この時の堀川が高校3年生だとすると、紅林はひとつ下の2年生だ。紅林の高校時代の写真は初めて見た。理由はわからないが、かたくななまでに拒まれ、社会人になって以降の写真しか見せてもらえなかったのだ。
「あれ?」
恋河原は薄暗い車内で、写真の中の紅林の顔をまじまじと見つめなおした。
「この人・・・私、どこかで会ってる!」
「え?お会いしましたかねえ」
「ひぃ!」
急に運転手から声を掛けられ、恋河原はビクリと跳ね上がった。
「私は初対面だと思いますがねー」
運転手は初老の男性。当然のことながら、櫻田ではない。
「・・・ああ、ごめんなさい。ちょっと古い写真を見てて。独り言でした」
「あらら、いやかえってすみませんね。お知り合いの写真ですか」
恋河原は写真を眺めながら、あの日の光景を思い浮かべる。
「長い間、忘れていた出来事を思い出しまして。あれは中学生になったかならないか、くらいの時かな。ひとりで散歩してたら突然犬に吠えられて、びっくりして転んだんです。その時に膝をすりむいて、通りすがりの高校生に青いハンカチをもらったんですよ」
「へえー、いい話だ」
「あれは・・・どこだったんだろ。暑い夏の日。照り返す太陽。噴水のしぶき」
「お客さん、そりゃ大通公園でしょう。札幌ならね」
「大通・・・そうだ大通公園!運転手さん、向かってもらえますか、大通公園」
「え?あ、はい。お客さん、こんな夜更けに思い出の場所にいくなんてロマンチックですねぇ」
「ホントにどうしようもない時は、もうロマンとか運命とかにすがるしかないじゃないですか」
自分の口から出た言葉になぜか納得した。もう、不安も焦りもない。だが、恋河原は心の中で少しだけ紅林を責めた。
(自分だけ気づいてたんだね。ずっと黙ってるなんてズルいぞ、太一郎!)
<続く>