「カラビ=ヤウゲート 深淵の悪魔」/第十話
体中の血液が、脳に吸い上げられている。そんな感覚だった。自分がこれまでの人生の中で得た知識を総動員すれば、理解の糸口がつかめるのではないか。
そう思いたかった。
だが、紅林の脳が導き出した結論は、真逆のものだった。紅林は心の声に従うことにした。すなわち、
理解することを放棄した。
論理的思考の一部を遮断した。
そうすることによってはじめて、目の前の得体のしれないモノと向き合うことができるのだ。
「よくわからんが、まあいい。俺とアンタはいま、この世界では『幽霊』ってことでいいのか?」
櫻田は表情を変えぬまま、小さく拍手した。
「お見事。最適解を出すまでのスピードが平均的な人類と比べて格段に早いです。彼女はそういうところに惹かれたのでしょうね」
「ゲートと認知。アンタの存在意義はその2点の絞られるようだ。もっとも、今の俺がそう記憶したとしても、その記憶を書き換えられることはたやすいだろうがね」
そう話す紅林の体を、そしてその対面に立つ櫻田の体を、ファミレスの利用者たちがすり抜けていく。彼女の言う『認知』は物理的な部分にまで影響を及ぼすのだろうか。
・・・いや、別世界?あの世?異次元?そのようなものがあるとするのならば、これがまさにそうなのだろう。
「いろいろなことが気になっているようですね。では、気にならないところにお連れしましょう」
櫻田がそういうが早いか、周囲から人間の気配がすべて、ふっと消えた。人間が生み出す生活のノイズもすべて掻き消える。
「・・・これは・・・」
「私は人間の記憶には最小限の形でしか干渉できません。しかし、認知を書き換えることはできます。さきほどはあなたに理解してもらうために、この建物周辺の人間の認知を書き換えました」
言いながら櫻田は、ファミレスの出口へと向かって歩き出した。紅林もつられるように後を追う。
「ですがいまは、あなたの認知を書き換えました。いまからあなたは、自分以外の人間を認識することができません。それに伴い、あなたの周辺の物理法則も変更され、あなたは人間の営みにまつわる物体に接触することもありません。さあ、外へ出てみてください」
促されるままにファミレスの外にでると、夜の街は死んだように気配のない世界だった。
「おい!これは・・・」
振り向くとそこにはもう、櫻田の姿はなかった。消えたのか、それとも認知を書きかえられたのか。
瞬時に絶望が紅林を襲う。
この世界に、ひとり。死ぬまで、ひとり。
出口を。ゲートを探さなければ・・・俺は壊れる。長くはもたないだろう。
やみくもに大声をあげて走り出したい気持ちを必死で抑えながら、紅林は夜の住宅街を歩き始めた。
☆☆☆☆☆
「なるほど、改めてご説明いただいたおかげで、清原さんが誰に強制されたわけでもなく、自らの意志で『クロノスの会』に身を置いていることはわかりました。また、クロノスには他者に危害を加える意志はなく、周辺住民のみなさんの理解も得ていきたいという思いも、一応は受け止めます。ただ・・・」
恋河原美穂は慎重に言葉を選びながら、インタビュー収録を進めていた。清原耕助が精神的に落ち着くのを待って収録を再開したため、窓の外ははや、日が落ちて暗くなっている。
応接室には清原、下柳、森林の三人が一列に座り、テーブルをはさんでややはす向かいの位置から恋河原が質問を投げかけている構図だった。
「やはり宗教団体として活動される以上、教義をもう少し詳しくご説明いただかないと、世間一般の理解は得られないように思います。代表から核心の部分を教えていただけませんか」
下柳は一度、深く眉をひそめた。が、小さく頷き、しゃべり始めた。
「わかりました。できるだけ嚙み砕いてお話してみますね。・・・世の中には理屈で説明のしきれない不思議な現象がある。まず、大前提としてこれを認めていただく必要があります。近頃、NASAが『UFO』の存在を認めたことで話題となりました。もちろん、『UFO』をどう定義するかということにもよるのですが、これも説明しきれない現象の一つと言えるでしょう」
下柳はこういうと恋河原の表情をチラリと見た。続けてよいか、ということとうけとめ、恋河原は大きく頷いた。
「私たちの日常に関わることでいうと、ラッキー、アンラッキー、ジンクスといった確率的なものから、呪い、祟り、幽霊などの心霊現象、そしてキリスト教でいうところの『悪魔』が引き起こす物理現象。こうしたものの中に『ある要素』が関わっているのではないかと私たちは考えています」
あえてなのか、無意識なのか、下柳は次の言葉を言う前に大きく間をとった。
「それは・・・『次元』です」
「次元?」
おうむ返しに恋河原が聞き返す。
「2次元、3次元の、あの『次元』ですか?」
「そう、その『次元』です。私たちの存在するこの世界は、さまざまな条件が整ってできた宇宙の一つ。そして同時に生まれた別の宇宙もまた並行的に存在する。マルチバースという考え方です。そして本来交わることのない別宇宙をつなぐもの、それが・・・」
「『次元』ですか」
「厳密には『高次元での時空連結』。私たちは連結される出入り口を『カラビ=ヤウゲート』と呼んでいます」
「カラビヤウ・・・」
「そして、何らかの意志に基づいて、ゲートの開け閉めを行う存在を『悪魔』と名付けたのです」
<続く>