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「うる星やつら」を、ちょっと語ってみる<2>/わたしのアニメ語り

この記事は、こちらの記事の続きでございます。

そんなわけで、「2代目」のアニメ「うる星やつら」を楽しむうえで知っておきたい「初代」の考察ポイントをまとめているところでございます。

「初代」を語る上で避けて通れないのが、押井守氏の存在・・・。
押井守と言えば、いまや日本アニメ界のレジェンド中のレジェンド。
「攻殻機動隊」や「機動警察パトレイバー」、「スカイクロラ」などの作品でジャパニメーションを世界に知らしめた彼のTVアニメシリーズのチーフディレクターデビューが「うる星やつら」であったことは、意外に知られていないのではないでしょうか。

ひさびさに引っ張り出してきたムック本w

絵コンテでの攻めた構図でのカット割りや、独特の長ゼリフ、時事ネタを織り込んだ風刺ネタなどで『大人の視聴に耐えるSF作品としてのアニメ』を構築した先駆者であるように思います。

「初代」の第一話をアマプラで見直してみましたが、前半はラムとの出会いのエピソードがあるものの、阪神から巨人への「空白の一日トレード」で話題沸騰だった江川卓らしき人物が出てきたり、後半は1970年代のオイルショックを皮肉った展開となっていたり、と初回にして早くもその片鱗がうかがわれていました。

そんな中で、押井氏のアニメディレクター・監督としての評価を決定づけたのが劇場版の「うる星やつら ビューティフルドリーマー」でした。
いまでこそSFものの定番ともいえる『ループもの』を、ラブコメの学園祭を舞台に具現化したその意外性に、安彦良和氏は「引退を考えるほどの衝撃を受けた」と語り、本広克行監督は、この作品にインスピレーションを受けて初監督作品を制作したと語っているそう。ま、本広監督は「ビューティフルドリーマー」をモチーフにした、そのものずばりの実写映画も制作してるわけですがw

もしかしたら「涼宮ハルヒの憂鬱」の時空ループネタ「エンドレスエイト」もこの作品がなければ生まれていなかったのかもしれません…。

押井氏が「生涯の師匠」と呼ぶ、鳥海永行氏(タツノコプロで「科学忍者隊ガッチャマン」などを担当)は、「ビューティフルドリーマー」について『僕は見て面白いと思った。日常生活の次元がちょっとずれると、ぜんぜん違う世界がある。それも日常生活の中に。すごく面白いじゃないか』と評価し、押井氏のディレクションに不安を抱くスタッフらを鼓舞していたといいます。

「ビューティフルドリーマー」が公開されたのが1984年2月。宮崎駿・鈴木敏夫両氏らが制作した「風の谷のナウシカ」が公開されたのが1984年3月。その後、1985年に「スタジオジブリ」が旗揚げされるなど、この頃は「日本アニメが大きな転換点を迎えていた時期」といえるでしょう。

押井守氏は「うる星やつら」TV版での実験的な演出を経て、映画「ビューティフルドリーマー」でアニメを「子どもの娯楽」から「大人が金を払う価値のある文化」に引き上げる大きな役割を果たしたのです。そして、そうした作品に『金を払っていた』のが「おたく」と呼ばれ始めたコアなファン層だったのです…。

そんなわけで次回は「うる星やつら」を支えた「おたく」の功績について語ってみます!


ではまた!


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