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好きな色に袖を通す
クローゼットでこれから着る服を選びながら、ふと思う。
私は白や紺、ブラウンやベージュなど、落ち着いた色合いのものを選ぶ傾向がある。その色の服に袖を通せば、しっくりくるからだ。無主張という主張をテーマに日々、服を選んでいる。
落ち着いた色合いが好きだ。けれどもそれは果たして本当にそうなのだろうか。そういった色合いを暗に選ばされているだけであって、心の裡では別の選択をしたいと思ってはいないか。
人には似合う色と似合わない色とがある。自分に似合う色=好きな色と単純に考えて結びつけてしまってはいないか。そうだ。私は本来、飛び切り発色の良い青色や緑色が好きだったはずで。
いつから「好き」という一点で服を買わなくなってしまったのだろう。幼い頃は「似合うか似合わないか」のものさしなんて持ち合わせていなかったから、かなり自由に選んでいたように思う。
余談にはなるが、小学生の頃、私の友人がボーダーのアウターにストライプのミニスカ、チェックのインナーを着て待ち合わせに来た時はさすがに驚いた。目がチカチカして仕方がなかったけれど、「好きなもの着てきた」という彼女は最高にロックだった。
そんなことを思い出したから、先日、飛び切り発色の良い青のシャツをクローゼットに迎え入れた。
初めはなんだかソワソワしてしまって、やはり自分には似合わなかったのかもしれないなどと考えては、慣れないことはするもんじゃないなと落ち込んでいた。しかし、不思議なもので、着れば着るほどに、それが自分に馴染んでいくのを感じた。決して色が落ちたわけではない。
慣れないことをしてみるのも、存外、悪くない。
自分の好きな色に包まれる感覚はとても快く、なんだか自分のことも好きになれる気がした。
服選びがまたひとつ楽しくなった実感があって、自分の似合う色と好きな色とを大切にしながら、これからも嗜んでいこう。
さて、今度は緑色のシャツを買おうかしら。