呟き日記 vol.70 反芻し続けてる、ずっと
土曜日。仕事、それなりに忙しかったけどおわり良ければすべて良しだった。
人身と重なってひどく大回りになったけどなんとか目的地に辿り着けてほっとした。
イレギュラーが起こったときにこそ、落ち着く練習。
落ち着いて考えれば、案外どうってことない、なんとかなることばっかりなんだよな〜。考えすぎるのって本当よくない。でもそれがすんなりできないからずっとなにかに悩んだり、もがいたり、苦しんだりしてる。人生ってたぶんそういうもん。
健康で元気に過ごそうね〜と笑って別れられる友だちがいるってことは、なんだか嬉しいことだ。
別れ際の手みやげ交換がここ数年の定番になってて、こういうのもなんか、すごくいいなーって思う。
『わたしの好きだったひとたちは、みんないい人だよね』と言われて、もう会えなくなったひとたちのことだけど、うれしかった。
わたしはわたしなりに、築きたい人間関係を、大事に紡いでいけてるような気がする。
多摩川散歩。午後から気持ちのいい秋晴れ。
やわらかい陽のひかりが川に反射して目に映る端から端までぜんぶきらきらだった。
あったかい毛布を頭からすっぽり被せられたような心地よさがずっとある。不思議なきもち。
芝生に寝転びながら、蒼い空の下、太陽が眩しくて目を細めたら、もうどうしようもない気持ちになって、すこしだけ泣いた。かなしい涙じゃなくて、やさしい涙。
ずっと、かなしみとかくるしさとかせつなさとか、そういうときは、ひとりで泣いた。
家族とか、友だちとか、頼れる人は側にいてくれたけど、そういうときはいつも、決まってひとりだった。
人目を憚らず大声で泣いたり、行き場のない気持ちを理不尽にぶつけたり、そういうことを、誰かに無条件で委ねたかったんだ。
顔を背けずに、目を逸らさずに、ただ真っ直ぐ自分と向き合ってくれるだれか。
ふとしたときに、こうやって溢れ出すから、自分でも困っちゃうね。
孤独は人それぞれ向き合ってるもので、向き合い続けていくもので、影みたいにずっとついてまわる自分の分身みたいなものなんだな。切っても切り離せない、逃れることのできないもの、みたいな。
だけど、どう転んだって孤独なら、誰かと一緒の方がいいに決まってる。
そんな風に考えてみたら、孤独がちょっとだけ尊く、愛おしく思えたりする。