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呟き日記 vol.57 晩夏の終宴

8月24日(土) 日記

久しぶりに日付をつけたい日記。

藤井風 Stadium Live "Feelin' Good" 終宴。
写真動画OKなライブだったけど、カメラは一度も向けなかった。
この瞳に、耳に、心に焼き付けたくて、フィルター越しに観るにはあまりに勿体ない気がして。

なにか素晴らしいものを見たとき、感じたとき、気の利いた言葉が出てこない。
文才はないし、感性も乏しいし、自分の内なる感情をそれ以上の何かで表現する術がわたしにはまるでない。

だからこそ音を聴き、文を読む。それでいい。

彼の創る音楽はどこまでも一貫していて、唯一無二で、こんなにも誰かを魅了する。

心が言葉を失くしたって愛だけは感じられる。
そうであってほしい。
どうかわたしの大切な人たちが、愛で満ちてゆきますように。

2階席最後列は7階まで階段で上がらないといけなくて、だけど上からじゃないと見られなかった景色が確かにそこには存在してて、瞬きするのが惜しいくらいに貴重な瞬間の連続だったな。


2024年のわたしのテーマ『愛』はここでも繋がってて、わたしの人生も見えないところでちゃんと繋がり、重なってたんだなって思えた。


ライブの後のひっそり静まった帰り道、ひとり想う。
少し冷たさの残る青臭い芝生の上か、どこまでも広がる青空と僅かにかかった真白い雲の下か、どちらでもいい。
いつかまた、どこかで会えたらいいな。傲慢かな。
それくらい、愛で満ち溢れていた瞬間がわたしにもあったってことは、何にも代え難い救いになると思っちゃったんだよね。


こんな日には決まって会う人がいて、言葉にしなくても通じ合えるなんかってやっぱりあるのかな。
ひとりの人間として向き合おうとしたとき、今まで見えて(気づけて)なかった大事な部分が輪郭を帯びて浮かび上がったりして。目を逸らさないでいれば、変わっていくものもある。
それもわたしにとっては大きな救いで、むやみやたらに憎んだりせずに済んで良かったって心から思う今は。
色眼鏡で見るのはやめにして、ひとりの人間としてちゃんと見ること。
そうすると、その人そのものの色がくっきりはっきり見えた。なんでもっと早くそうしなかったんだろう。

何度振り返っても出会わなければ良かったなんて思ったことは不思議と一度もなくて、一方通行だったから交わらなかっただけで、少し立ち止まってみたら、別に最初からこれで良かったのにね。って今なら思うんだけど。
時が経ち気づくことの方が断然多いみたいだ。
でもこれでいい。これがいい。
分け合ったアイスがちょっぴり切なくて、でも嬉しくて、くすぐったかった。


あぁ、夏が終わる。
夏の終わりの哀愁と軽やかさは、いくつになっても新鮮でどことなく切なくて甘酸っぱい。