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かくこと

自身のことを書けなくなってひさしい。

細々とだが、ライターのお仕事をもらって、
日々必死に、右と左がわかるくらいにはなってきて、
そしてだんだんと、自分のことが書けなくなってきた。


と、いうのも、
web媒体の週刊連載で、デザインに関するダイジェスト記事を担当させてもらうようになり、いわゆる「解説」的な、編集さんがいうには「ニュースを読むようなかんじで」の執筆が求められるようになった。

トータルでも600〜800字程度のダイジェスト記事なので、端的なものがよく、かつ「デザイン」に関しては断定はしないけれど、雰囲気や情景などを匂わすような、感じさせるようなフレーズを盛り込む。

当たり前だが「私の感想」を述べてはならない。
ブログではないし、「私」のことをお知らせする記事ではないのだから。

デザインの専門家ではないので、編集さんの「もちろんそこはフォローします!」の前提ありきで、日々記事を書いた。

校正ののち、全く別ものな原稿が戻ってくることもあれば、「完璧です〜◎!」とほぼ直しなしの原稿がアップされることもあり、どこにその違いがあるのだか、「コツ」が掴めているのだか、いないのだか、いまだにわからない。

「脳みそに(冷や)汗をかく」日々で、気づく。

その時読んでいる「本」の文体の影響が、原稿にもほんのりと反映されてしまっている。「エッセイ」なんて読んでる期間はモロだった。
(星野源氏やジェーン・スー氏なんて好きだからやばい)

その文体が紹介するデザインの雰囲気にマッチしていれば「◎」で、解離していると「無かったこと」になった。

だめだ、精進が足りなすぎる。

と、影響を受けないよう、だんだんと読書をしなくなった。
同時に自分のことを書くと、感性先行の文体が影響しそうで、noteからも遠ざかって……気づけば1年3ヶ月。

うそでしょ。
どこかずっとうしろめたく、なさけなく。
それでも記事を書く日はつづく、つづく。

ありがたいことに、デザインのダイジェストだけでなく、
関連して東京や京都などのデザイン性の高いお土産の記事や、都内のギャラリーのレポート記事、企画展の記事など、継続的にお仕事をいただけるようにはなったけれど、どうにもずっと息が浅い。
水面付近でくるくると、ぱくぱく、ぱくぱく、と回遊しているような感覚。

これが「精進している状態」なのかもだけれど、どうにか大きく息を。
とにかく息を、おおきく、吸いたい、吐きたい。


取材交渉が膠着している案件に、やんわりと進捗の確認メールをしなければならないのだけれど、もうどうにか今、「息がしたい」衝動。

左手に東京駅を見ながら。

「あーもーーう!」
通りかかったスタバに飛び込んで、pcを開いてnoteを開く。
久しぶりすぎてログインできず、パスワードを更新する始末。
なさけなさすぎる。

そして今、ここまで書いてしまった。
髪振り乱し、ゼイゼイと肩で息をするような感覚でいる。

誰に読まれることがなくても、吐けば吸えるのが息というもの。
じぶんのために、今のじぶんのことを書いてみた。



-20240801-








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