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長谷川修二による渡辺啓助に就いての話

啓助・啓助・啓助

長谷川修二

 渡辺啓助氏の最近の作品は、すべて、こぼれるような人間味のある夢想の世界の出来ごとである。歴史考証趣味にも、情痴ものめいた構成にも、現代風俗の描写に対する欲望にも、科学的な素材を扱おうとする傾向にも、ローマン主義と硬化することを知らない若い動脉から流れる若さとの二重の裏打ちから滲み出る濃い雰囲気の暈輪(ヘーロー)が見られる。
 それは職業的作家になる以前から、史学を研究し始める前から、つまり若い英文学研究家として詩人死亡であつた頃の、《暁船》という名の詩の雑誌の同人だつた頃の、渡辺氏を虜にしたように見えた高踏的精神時代から、作品の随所に頭を抬げていたこの人の本性なのであろう。
 初期の渡辺氏(当時は文業にも本名の《圭介》を名乗つていた)の傾向がつづいたなら、そこに一つのサンボリスムが生れ、一つのデカダン趣味が生じたに違いない、と私は考えるが、《圭介》を《啓介》と改め、また今日の《啓助》と改める頃から、渡辺氏は古いパルナシアンの外套をぬいだ。今から二十余年前のことである。
 当時の氏の高踏詩人の外套が借り物であつたというのではない。この外套が、若い時代に、彼の本質の人間味と夢とを氷雪の害から守つて居たのだ、と私は考えたい。やがて彼の作品の中心となるべき《胚》は、超俗主義、耽美趣味、背徳思想といつたような殻や卵白やカラザに守られて、大きな卵黄の中央に悠々と眠りながら成長して居たのであろう。
 私は一九二二年、学友故渡辺温の兄貴としての渡辺圭介氏に始めて会つたのだが、以来、氏の愛読者第一号ということになつている。今日、氏の書きおろし長編推理小説が上梓されるときいて、大方の読者とともに、領をひいて出版の日を待つものである。

(一九五九・一二・一四)



初出

渡辺啓助による書下ろし推理小説全集「海底結婚式」の付録の小冊子に長谷川修二が寄せた文章を文字起こししました。(他に、水谷準、大下宇陀児が寄稿して居ます)


文字起こし作業者、僕による個人的な感想。(単なる蛇足です)


・4段落目

>当時の氏の高踏詩人の外套が借り物であつたというのではない。この外套が、若い時代に、彼の本質の人間味と夢とを氷雪の害から守つて居たのだ、と私は考えたい。

4段落目

僕は此処に長谷川修二による渡辺啓助への深い愛情を感じた。
外套で守らなくちゃならない程、若い頃の啓助さんは繊細で、彼の人生の上で起こることを「氷雪の害」と評して啓助さんの痛みに想像を巡らせて寄り添って居ると思ったからだ。
1922年(関東大震災の一年前だ)の学生時代から啓助さんの作品を愛読し、繊細な啓助さんを作風の変化と共に見守り、そして最新作もとても楽しみだというのは、一読者を超えて深い愛を持って啓助さんという人を作品丸ごと愛して居るように感じた。

・5段落目

>私は一九二二年、学友故渡辺温の兄貴としての渡辺圭介氏に始めて会つたのだが、以来、氏の愛読者第一号ということになつている。

5段落目

渡辺温と長谷川修二、そして啓助さんが学生時代から交流があったのは知って居たが、どの程度の仲なのかがハッキリ解らなかったので、此の記述でかなり仲が良かった事が察せられて嬉しかった。
温、修二、啓助、そして及川道子、此の人たちの大正時代末期頃の青春がどのような物であったのか詳しく知りたい。彼らにとってキットとても楽しい時代であったんじゃないかな。

・「あつた」など旧仮名使いが残って居る。こういう冊子だから校正が甘かったんだろうと思うが、原稿用紙の上で本人が未だ旧仮名遣いで書いて居たんだろうなあという事が察せられて、ファンとしては興味深い。

・一段落目
新青年などに寄稿して居る長谷川修二の文章を見て居ると、これが彼の文章の調子だなあと思う。始めは少し硬くて知的な言葉や難しい例えや言い回しを使うんだけど、最後に行くに従って優しさだとか人情味みたいなものが滲み出る。個人的にこの人のこういうところが好きです。文章そのものというより、文章から感じる人柄の立体感というのかな。此れは一般的な楽しみ方ではないと思って居ますが、僕は好きでたまらないのです。


以上です。

本日は渡辺啓助さんのお誕生日でした。
啓助さん、お誕生日おめでとう。

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幾島溫
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