No.022 O.R.タンボ国際空港:南アフリカの玄関口
アフリカ最大のハブ空港の名前の由来
ヨハネスブルグのO.R.タンボ国際空港は、アフリカ最大の航空ハブの一つとして知られています。2006年に「ヨハネスブルグ国際空港」から現在の名称に変更されましたが、この空港の名前の由来となったオリバー・レジナルド・タンボ(Oliver Reginald Tambo)という人物について、今日は書かせていただきます。
O.R.タンボとは何者か
ネルソンマンデラと共に彼の名前も語らないわけにはいきません。
解放運動の指導者としての歩み
- 1917年:東ケープ州のンコンゴ村に生まれる
- 1940年代:アフリカ民族会議(ANC)の青年部門リーダーとして活動開始
- 1952年:ネルソン・マンデラとともに南アフリカ初の黒人経営法律事務所を設立
- 1955年:「自由憲章」の起草に参加
- 1958年:反アパルトヘイト運動に動員するためにザンビアへ送られ亡命
- 1960年:ANCが非合法化された後、海外での活動を指揮
- 1991年:亡命から30年たち南アフリカへ帰国
亡命期間中の功績
- 30年に及ぶ亡命生活の中で、反アパルトヘイト運動の国際的なネットワークを構築
- 国連での演説や各国政府への働きかけを通じて、国際社会の支援を獲得
- ANC外交部門の確立と国際的認知の向上
- 解放運動の資金調達と支援体制の整備
マンデラとの関係
- 1940年代から親密な同志関係を築く
- マンデラが投獄されている間、ANCの事実上のリーダーとして組織を率いる
- 「内なるマンデラ」と「外なるタンボ」として、二人三脚で解放運動を推進
なぜ空港の名前に選ばれたのか
歴史的意義
1. 解放運動への貢献
- 30年にわたる亡命生活中も、一貫して非暴力による変革を訴え続けた
- 国際社会における反アパルトヘイト運動の顔として活動
- ANCの組織的基盤の確立に尽力
2. 教育者としての側面
- 数学教師としてのキャリアを持ち、教育の重要性を説く
- 若い世代の育成に力を注ぐ
- 理性的な対話の重要性を説く
象徴的意義
- 国際空港の名称として、南アフリカの解放運動の国際的側面を体現
- 非暴力による社会変革の象徴として
- 教育と対話を重視した指導者としての評価
日本から南アフリカへの空の道
O.R.タンボ国際空港へは、複数の航空会社が運航するフライトで到着可能です:全てではないですがそのうちのいくつかをご紹介します!
主要なルート
1. エミレーツ航空
- 成田/羽田→ドバイ→ヨハネスブルグ
- 快適な乗り継ぎと高品質なサービス
2. カタール航空
- 成田/羽田→ドーハ→ヨハネスブルグ
- 中東経由の効率的なルート
3. エチオピア航空
- 成田→アディスアベバ→ヨハネスブルグ
- アフリカ大陸内での乗り継ぎルート
4. シンガポール航空
- 成田/羽田→シンガポール→ヨハネスブルグ
- 東南アジア経由の選択肢
これらの多様なルートの存在は、かつてタンボが築いた国際的なネットワークの現代的な形とも言えます。彼が夢見た「開かれた南アフリカ」は、今や世界中からの玄関口として機能する国際空港として具現化されています。
世界有数のハブ空港として機能するO.R.タンボ国際空港。その名前には、南アフリカの自由と平等のために生涯を捧げた一人の指導者の精神が込められているのです。
ヨハネスブルグに行く際はそれらのエピソードも理解しながら行って参ります!
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