本と暮らす、本に暮らす Dawn on Prince Edward Island
その明け方、19歳になったばかりの私たちはプリンス・エドワード島北部、キャベンディッシュの海岸にいた。誰もいない海岸に小さな波が寄せては返すうちに、夜は音もなく明け、空は灰色がかった茜色に染まった。
眠れない夜に思い出す景色や音がある。キャベンディッシュの夜明けの海岸はその一つ。静かで美しい記憶は私の疲れたこころとあたまに安らぎをもたらし、眠りへと導いてくれる。
部活を引退した高校二年の秋、残りの高校生活に待っているのは受験という重荷だけだった。私たち、「赤毛のアン」が大好きな友達と私は、「お互い無事大学に受かったら、プリンス・エドワード島に一緒に行こう!」という夢を掲げて、おのおの受験に挑んだ。1年超後の春、ともにめでたく大学生となった私たちは、最初の夏休みに予定通りプリンス・エドワード島へと飛び立った。夢が叶った瞬間だった。小型飛行機の窓から赤土と緑に覆われた島が見えた時の、震えるような感激は今も忘れない。「ほんとうにあったんだ!」さんざん写真で見てきた島だけれど、実際に目の前に現れるとこう思わずにはいられなかった。今振り返っても、これまでの人生で最高にドキドキわくわくした瞬間だったかもしれない。
15歳頃からなぜか「夜明け」や「日の出」に惹かれていた私は、島の夜明けをぜひこの目で見てみたいと思っていた。話すと友達も賛同してくれ、島についてひと晩目の明け方近く、私たちはキャベンディッシュの宿を出て海岸へと向かった。宿は幸い海岸に歩いて行ける距離にあった。そして冒頭の夜明けである。私たちは砂浜に座り、時差ボケの眠たさも忘れ、ただ言葉も無く静かさと美しさに包まれていた。
あれから長い年月が過ぎた。19歳であの海岸にいた私たちは、その倍以上も生きてしまった。それどころか、気付けば三倍すら近くなりつつある。そしてその間、いろいろなことがあった。辛いこと苦しいこと悲しいことがたくさんあった。五十にもなれば、誰の人生にもそういうことが数多くあることは分かるけれど、本や音楽、こころに思い描く世界という"anther world" に生きる敏感気質の私にとって、現実はかなり生きづらいものであった。疲れているのに頭の芯が冴えて眠れない夜も多く、島の夜明けは数え切れないほど私の脳裏に蘇った。
ともに島を訪れ、夜明けを眺めた友達とは別の大学に進学し、お互い忙しく、会わない年月も長い。こちらも気付けば空白が今年で19年…生まれてからプリンス・エドワード島にたどり着くまでの19年と同じだけ会えていないなんて!でも、毎年の年賀状と、誕生日が同じ月であることから送り合い続けている誕生日カードだけは途絶えていない。
いつかまた一緒に島に渡って、あの海岸で夜明けを眺めることが出来るだろうか?出来るかもしれない。そんな希望を抱いているし、再会できる日には友達にもそう伝えたい。19歳の夏、夢は叶うのだと知った私たち。島は、海岸は、そして夜明けはきっと待っていてくれる。
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