第5回 俺の頭はどうなっちまった⁉
再就職を目指して
退院して再就職することになった。
この再就職に至るまで、寝耳に水の解雇通告やら失業保険やらハローワークやら・・・書き始めたら、中編小説が出来上がるくらいのボリュームがあるのでこれも割愛させてもらう。というわけで、再就職の話から始める。
高次脳気機能障害に気付けない!?
再就職が決まった時、私の心と言うか頭の中が最高潮に荒んでいた頃なので、これから会社に入って・・・また社会に出て、どうなるんだろう?という疑問に全く答えが出せなかったというのが正直な気持ちだった。
大げさに聞こえるかも知れないが、ちょっとだけ想像力を働かせ欲しい。人間が赤ちゃんとして生まれてきて少しずつ学び、何十年もかけて莫大な量の記憶や経験、世の中または他人に対処する方法を学んできて、時には強く出て自分の意見を通し、また時には弱く出て人との軋轢を少なくして人間関係をキープする試みをする。
ところが《高次脳機能障害》の当事者は、その沢山の記憶や経験を蓄えた様々な脳の部分(人によって部分は違う)を《壊死》させてしまうのだ。勿論壊死してしまった部分がどのような働きをしていたにせよ、壊死した部分は全く使い物にならなくなってしまっている。
ここで重要なこと。それは自分がそれらの使い物にならなくなった頭の状態に気づけないことが多かれ少なかれあると言うことだ。
重要なことは、脳の壊死した部分だけではなく、その部分を経由して連絡していた他の部分にも大きな影響が出てしまうことだ。どういうことかと言うと、脳の多くの部分が無事に残ったにせよ、A⇒B⇒Cと繋いで有機的に連絡して効率的に知識を分析し、それを表現し、計画し、行動していた脳のBの部分が壊死して無くなったら、AからCへの連絡ができなくなってしまう。BがCにしかつながってないのなら通り道は1本だが、BがC、D、E、FとつながっていればAと認識してもC、D、E、Fの4本が全滅してしまうのだ。
こんな状態になってしまうと、自分が考えていることも次の瞬間には忘れてしまうし、人との会話も上手く出来なくなる・・・と言うか、下手な会話すらも出来なくなる。
全ての当事者が私と同じではないのは判っているが、少なくとも私自身はこんな感じの症状だったし、今でもこの感覚がなくなったわけではない。
病識
私の場合は病識(簡単に言えば、自分が何らかの病気であると認識すること)がある程度あったので、『なんで自分は今、こんなに頭の調子が悪いんだろう?』と考えていた。私の場合、病識がある部分に関しては何とかしようという考えも起きてきた。それでも私は、他人からみたら変な話や行動をしているらしく、家内からしばしば指摘された。私自身は普通だと思っていたり、逆に『なんで私はこんな話しをてんだろう?』思ったりすることもあった。
幸いにも私には多少あった病識だが、原因は判らない。自分自身で判らない部分は、上手く医師に説明することもできないから、誰も私の異状を説明してくれないのだ。
その時期私の頭の中を占めていたのは『なんでこんなに頭の調子がおかしいんだろう?なんで、一日中物忘ればっかりしてんだろう?』退院してからずっとそんなことを繰り返していたので、『小脳梗塞には後遺症はありません』というお主治医の安心の言葉が、だんだん不安に変わっていった。正確に言うと、その不安が徐々に大きくなっていって、再就職する頃にはかなり不安がおおきくなり、結果自分に自信を失っていた。
私の場合に起こったこと
私は、とにかく物を失くした。これは、小脳梗塞で倒れてから一命を救ってもらってから5年経っても殆どと言っていいほど改善はされていない。酷いときは目を覚ましている時の半分の時間は探し物をしている。探し物をしないように決まったところに決まった物を置くようにすると良い・・・と言う意見が真っ先に出てくる。
ところが、これは却下!
何故かというと《決まったところに置く》と言うこと自体を忘れてしまうので、なかなか上手くいかない。ただし、現在では鍵などいくつかの物は決められた所に置けるようになった。でも、上手くいかないこともしばしばある。目的のものを、ある時には全く関係のないところに置いている、そしてある時には計画通り正しい場所に、そしてまた別の時には目的の物自体を忘れてしまって片付けること自体忘れてしまう。こうなると人に「あれはどこに片付けたの?」と聞かれ「???」となってしまう。また、自分ではいつもの所に片付けたつもりになっているのに、目的の探し物が見つからないので、周囲に人に「アレ、どこにやった?」とまるで自分が失くした物を、他人がどこかにやってしまった・・・と思いこんでしまっているのだ。つまり・・・こんなことの繰り返しになってしまうので、結局《自分》がやっていることが《全く信じられない》のだ。
自分を信じられないことほど、生活を不安にさせるものはない。
何を信じる!?
自分がしていることが信じられないと、何かをやろうとする度に《自分が今まで何をやってきたか》をもう一度最初から確かめないといけなくなる。
要するに、人は誰かと仕事をする時に連絡を取って、段取りを決めて、できた結果を確認して、納品する・・・ということになるわけだが、高次脳機能障害の私が仕事をしようとすると、これらの作業を数分前の私と1時間後の私と昨日の私と・・・何人になるのか分からないが、多数の私が何をしていたか確認し直さなくてはならなくなる。
ここでまた大問題!私が何をして、何しなかったか・・・私は記憶を失ってしまっているのだ。つまり、どこの時点の私を捜し出したとしても何も確認できないと言う事だ。
しかも、それぞれの私は、物忘れがひどくイライラしていて、やってないことをやったと言い、やったことをやってないと言って・・・どの私が采配を振るえばいいのかすら分らない状態だ。
ここでも《メモ》という言葉が出てくる。
メモを取っておけば、どこまで仕事を進めたのか?今日は何の作業をしたのか?明日、会う予定の人は誰なのかがわかる・・・と思うのが、素人の浅はかさ!!(笑)
先ほども言ったように、メモしたメモをどこにやったか忘れてしまう。メモを見付けても、そのメモの意味が分からない(なぜだろう?それが判れば私も悩まずに済むのだが・・・)。究極の荒業はメモをしたことすら覚えていない(なぜだろう!?ほとんど記憶喪失!)。信じられないだろうが、その全てが私の真実。そして現実なのだ(ほんとになんでなんだ!!)。
ハード!!
物忘れだけで済めば楽だったと気付くのは、もっと後になってからだった。