100日ワニ、社会規範と市場規範で考える、目的・手段・結果の関係。
この記事の解説は、とてもわかりやすくていいのだけど、ちょっとミスリードしちゃいそうなので、自分なりの意見を書いておきたい。
並列ではない「社会規範」と「市場規範」
「社会規範」と「市場規範」は並列ではなくて、前後関係(もしくは上位下位)にあるので、対比させるようなものではないかと。
対比させるなら、社会規範の対価は人間の内側にあり、市場規範の対価は人間の外側(お金、記事にあるピザ・コーラ)にある。
社会規範ではお金もピザもコーラを求めないし、自分の外側の対価を想定していない。
100日ワニが炎上したのは、対価を想定していた市場規範の設計を、社会規範に見せた詐欺行為なのでそこが炎上しているとおもう。
目的・手段・結果の順番を間違えない社会規範での企画設計
売上や利益を上げることは悪いことじゃないし、現代社会では生活するために必要なことでもある(ホントに?という部分はありつつ)。
売上や利益は「結果であって目的ではない」ので、設計の違いは
市場規範での設計:売上と利益(○○億円の売上、○○億円の利益)を目的にして、手段として作った100日ワニ。目的とのプラスマイナスの差はあるとしても、結果は現実の売上と利益の実数。
社会規範での設計:死生観を伝えることを目的(一例)にして、手段として100日ワニ。100日ワニのファンになった人が、結果として寄付したりグッズを買うという順番。
せめてもうちょっと巧妙にやればいいのにね。社会規範が見えていないと理解すらできないのだと思う。わらっちゃうようなはなしだけど(笑)
そして、ネットでの炎上とは別に、結構売れるんじゃないだろうかとも思う。買う人が一定数いると、何度でもフォーマット化してやるよね。より巧妙に。2000年も前からやっていることなので今後も延々と歴史は繰り返すようにもおもう。
目的の違いによる、人の成長の違い
改めて書いてみて、売上と利益だけを目指している人は、成長の幅が小さそうそう。目的と結果で永久ループになってしまうので、成長するには目的となる数字を上げるしかない。いつしか上限がして自分の存在意義と向き合うタイミングが来るか、気づかずに来世に行くのか。数字を追う・追われる人生はとてもしんどそう。そこに存在意義はないので、永久ループをずっと走り続けることになる。
2000年前との違いで1つ希望があるのは、インターネットの普及によってアクセスできる情報の量が格段に違うので、学べる環境はどんどん整っていくということ。
大きい組織にいるとなかなか難しいので、大きい組織の解体が次のステージだと思う。
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