教育、自己研鑽
協力隊というのは中々どうして
多くの人と出会うことに恵まれて
それら一本一本の繋がりが僕の定住意欲につながるというか
「今この人達との出会いを大事にしたい」という思いに繋がる
そういうことで言うと
色んな人の話を聞くし、色んなことを学ばせられる
今までを振り返ると、どうしても「人と何かをする」ということに苦手意識が強い
予定を合わせなくてはならないし、思い通りに話が前に進まないことがある
野菜は堆肥をやって、水をやって、肥料をあげればある程度形になる
それはとても心地がいいし、黙々と作業できることが嬉しい
風の音、鳥のさえずり、ゆったりと流れる時間に甘んじていたい
実際、定住するには甘い汁を啜っているばかりではなくて、経営計画の話、使えそうな農地の話、補助金の話だとかには耳を向けなくてはならない
そういう辛いことに目を向けるとき、支えてくれるのがまた人であるというのが面白いところ
僕は大学を卒業してからいきなり協力隊になった
身の回りの協力隊を見ると僕みたいな人間は稀で、大抵の協力隊は社会人経験をもって協力隊になっている
社会人。民間を挟んでいる人からの言葉には沁みることが多い
まず、予定をブッキングすることの重さ
自分の都合で予定をキャンセルすることは容易い。しかしそれによって波及するマイナス感情は、仕事に支障をきたすレベルで重いものがある。
結局、人と人の信頼関係によってあらゆる仕事が大きさを増していくし、信頼を失墜するということによる代償は、自分の予想を遥かに超えて影響を及ぼす
予定を蔑ろにされたとき
「ああ、この人にとって自分はこの程度の価値しかないんだ」という印象は、一度植え付けてしまうと覆すことができない
人と人との仕事をするとき、自分が被害を被るのはまだ優しい
問題は、自分の不手際によって、自分の親しい人が傷つくという事態が発生したときである
自分の軽はずみな一挙手一投足が取り返しのつかない事態を招くということもある
それが近しい人の信用失墜であるとき、お金どうこうでは解決できない責任が生じる
そういうことを考えると、やっぱり人と仕事をするのってしんどいんだけれども、これを乗り越えることこそが今の僕にとって最も重要なところであると思う
奇しくも最近、身をもって思い知らされることが多い、馬鹿な僕にこうして釘を刺してくれるイベントやら言葉やらがあるという点においては、やはり僕は恵まれていると思う。
軽率な言葉、行動。野菜作りなら失敗するだけで終わる。人間関係は糸のようで、一度切れると中々修復できないところがある
それでもなお、立ち向かおうとする勇気を与えてくれる周囲の環境は僕にとって嬉しいし、身を尽くして恩を返したい
僕の身近な人に、とても優しい人がいる。その人は決して他者を貶めようとしないし、誰かの傷つくようなことを言わない
僕は未だ自己中心的だし、そのような優しさを持ち合わせられない
色々なステップを踏んだ今、僕の新たな目標はそこにあると思う
自己研鑽・・・
あらゆることを自責として糧にしていきたいし、教訓にしていきたい
僕はそのように成長していく人間であるようにも思う
僕が学生時代、陸上部の部長を任されたとき、自分の器の小ささややるせなさに耐えられなくて寝込んだ時がある
ある人の言葉、「大村くんはしっかり休みなさい」
その人は、声に出して自分を褒めることができるようになる、そんな日がある、的なことを言っていた
頭の中で自分を慰めることはできるが、声に出てこない
頭で理解して、心が理解してないって、そういうことなんだと思う
自分の体を休めようとすると
「お前怠けてるな」と、必ず心の中の僕が言う
まだ自分を休めると言うことがわからない、その塩梅はこれから先見つけることができるかもしれないけど、今の僕には到底見つけられない
これが自責で、これが他責だ、という線引きが欲しい
僕はあらゆることを自分のこととして捉えることで成長効率を上げようとしてる節があるし、それが最大効率であることは疑わない
自己肯定感とかもそれに絡んでくるのだろうか、どうしても僕は成長の足を止めたくはない、もっと大きな人間になりたい
そうやって心を擦り切らして、また同じことを繰り返したりするのだろうか、そうやって逃げる人間にはどうしてもなりたくないというのに
あらゆることを蓄え、磨くことが自己研鑽であると思う。自己研鑽と自己肯定感を養うことのバランスが取れないことが多い
そういうことを考えて自己嫌悪に陥る。
結論として正しいことかわからないけど、一つ一つ向き合っていくしかないのかな
「この場合はこうすればいい」みたいな経験値を貯めることが、今の僕にできることだと思う
脱皮の字の如く、自分の皮を剥いていって、そのなかに輝く石があって欲しい
2年間の協力隊生活を経て、本当に多くの人脈ができた
あらゆる人が僕に色々なことを教えてくれる
僕にとって必要な言葉が、教育が、人間関係の中に眠っている
大山祇神社でおみくじを引いたら「慎ましやかに生きよ」ということが書かれてた
慎ましやかという文字を何度も噛み砕いてみる
周りの見えなくなっている今の自分に、今までの人、経験が、改めて僕の胸に突き刺さってくる