そういえば31アイス食べた話
皆さんは31アイスクリームをご存知だろうか?
知らなくても無理はない、全国にチェーン展開、大抵のおしゃれなショッピングモールに存在する、アイスクリーム屋である
ポケモンの形を模したアイスケーキ等も販売している
僕が初めて31アイス食べたのは小学生の時、僕はチョコレートみたいなやつ、父親はマンゴー味を食べていた。マイファザーはマンゴーが大好きという愛くるしい一面がある
最近、喜ばしいことに、僕に彼女ができた。こんな複雑怪奇な人間でも愛してくれる人間がいるということはとても嬉しい。彼女の懐の深さとこの世の中の多様性なるものには感嘆させられるばかりである
愛媛にはエミフルMASAKIというショッピングモールがあるのだが、そこにも31アイスがある。
僕たちはゴジラ−1.0を見た後、神木隆之介がかっこいいだの、浜辺美波が可愛いだの、あの作品は放射能汚染でバッドエンドを迎えるだの、かわいいゴジラがいじめられて可哀想だのという感想を繰り広げていた
ゴジラってシルエットはめちゃくちゃかっこいいのだが、顔にズームしてみると、それはそれは近所の野球少年のような坊主頭。でかい顔面に明らかに釣り合わないつぶらなおめめ等、とてもチャーミングな怪獣なのだ。
そんな感想を繰り広げていると「アイスでも食おうや」と、僕たちは31アイスへ
世の中はバレンタイン、あらゆるものがピンク色
31もバレンタインということで、イチゴを使ったアイスとチョコを使ったアイスが期間限定販売されていた
僕はチョコ軸、彼女はイチゴ軸のアイスにホッピングシャワーを添えてオーダー
ちなみに、僕はさっきの小学生の思い出以来、31アイスを食べていなかったのだ。決して嫌いというわけではない、ただ状況と、僕の人生がそのように設計されていただけである。
従って、ホッピングシャワーを食べたことがなかったのだ、31の看板メニューであることは知っていた。
ちなみに僕は重度の逆張りオタクであるため、看板メニューを嫌う傾向がある。逆張りを言語化することは困難だが、大衆が美味しいと認めるもの、企業が需要を理解し、プッシュするもの。みんながすでに食べてる物をなんでわざわざ俺が食べないかんのや、という思いと、それを食べる自分自身が大衆に埋もれることにより普遍的な存在になることに対する嫌悪感があるのだ。と思う。
まあでもその場の雰囲気というか「別に食べてもいいか〜」とその時は思った。これについての言語化はより困難だ、僕の人生はこのタイミングでホッピングシャワーを食べるように設計されていた。それだけのことだ。
まずはチョコの方を食べてみる。クリーミーで濃厚な味わいが印象的、いかにもバレンタインっぽい味わいのチョコレート味だった。普通のチョコレートをキスに例えれば、こっちのチョコは3分くらいディープキスしたみたいな感じ、ウルトラマンの滞在時間と同じである。
次にホッピングシャワー。なるほど実物を見てみると、中々綺麗な物である。この世の中にこんな色の果物があったら何味なのだろう
実際に味の方も形容し難い物である。
正義の甘さと添えられたような爽快感。無限に食えそう
そんなことより!!
口の中で弾けるキャンディー。ホッピングの正体これか!
口の中に甘さのグーパンチと飛び交うキャンディーたち。さながら遊園地の雰囲気のよう
どういうわけかわからないけど、とにかくうまい。そんなところも遊園地に似てる、なるほど、遊園地をアイスにしたらこうなるんだな。
弾けるキャンディーも小学生の時よく食べた知育菓子以来だったので、若干のノスタルジーすら襲ってくる。映画の後、ショッピングモールの中、そんなテンションで食べるホッピングシャワーの相性は最高だった。
アイスでここまで非日常を演出できるものもそうないだろう。ぶっちゃけ、アイスのショーケースの中の、バケツに入った大量のアイスを眺めてる時からテンション上がってた。
こうやって振り返ると可愛い学生デートのようにも見えるけど、残念ながら僕の学生時代はそれはそれは軒下の縁石の下のダンゴムシのような地味な人生なので、こんなキラキラしたイベント自体はじめましてなのだ。
ショッピングモールを彩るホッピングシャワー、そこには確かにブームの理由や、哲学らしきものを感じることができた。
いまだにホッピングシャワーを食べたことのない逆張り諸君は、ぜひ食べてみて欲しい。あえて大衆の波に飲まれることで、普遍化するものの難しさと、そこに込められた努力の賜物に気づくことができると思う。
結局この世に名を残すのは有名なものであり、普遍化されたものである。普遍化されたものは、そうでないものより然るべき努力が積み重ねられているのだ。
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