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書くことは、痛い

賞レースに落ちすぎて、痛覚が鈍くなってきた。

私がなんでここまで公的な評価に縋ってしまうのか、それは文章を書く楽しさと同時に賞を貰う喜びを知ってしまったからだ。

地元の小さな賞だったけれど、自己肯定感を満たすには十分で、私はその頃から文章に固執している。

呼吸のように、純粋に書き続けている人達も世の中にいる。
羨ましい。本当に羨ましい。
私はそれを、ずっとできない。
それができたら、もっと納得する言葉を紡げるはず。
なのに、できない。

とある文学賞の要項を見ると、「まだ読んだことのない、新しい小説」と書かれていた。
そんなの無理難題すぎる、新しいコードを作れと言っているようなもんだよ、とショゲそうになる。独自の言語を作って発表すればいいのかよ、とキレそうになる。

名作は世の中に出尽くしているし、自分の書く文章に頭ひとつ飛び出る面白さがないことは嫌でも分かっている。
それでも自分の作品を愛してしまうし、自分への期待を捨てられない。
書く動機はこんなにも純粋じゃないのに、それでも書くことをやめられない。

賞レースに挑戦すること、それは普通に生きていれば味わなくてもいい痛みを知ること。
この痛みは正直、生きていく上で必須のものではない。
惨めだしダサいし恥ずかしいし、友人知人に隠したいとも思う。

けれどやめられないから、やめない。
やめたら私は私ではないから。

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