オクジャ/okja ポン・ジュノ
韓国奥地の山にある家で暮らす少女ミジャは、体の大きいカバのような豚のような不思議な動物(スーパーピック)にオクジャという名前をつけ、その動物の面倒を見ながら幸せで平和な毎日を送っている。ところがある日、そのオクジャを大企業ミランド社がニューヨークに連れ去ってしまった。そしてそれを追いかけるためにミジャは家を飛び出す。研究所で処分寸前のオクジャを見つけ出しその場からなんとか救い出し故郷に連れ戻す。これが大まかな内容である。私の感想は下記の通りである。
スーパーピッグを世界各国で育てコンテストを開催する。それを企画を主催している大企業である金にまみれたミランド社と純粋にオクジャを家族として迎え入れ愛情にあふれているミジャの対立が際立つ。ミジャの愛に呼応するようにオクジャも反応する。相思相愛で飼い主とペットと言うよりも家族の関係という印象が強い。ブランド豚を作る過程であるオクジャは知能も発達していてミジャの危ない場面も機転を利かせて助けている。体のおおきなオクジャに包まれている彼女を見ていると宮崎駿監督のとなりのトトロを思い出した。オクジャはミランド社に強制的に連れていかれた状況で、何度も何度苦境に立たされながらも最終的に連れて帰ったミジャの信念の強さを感じる。私が最も印象的だったシーンは最後に研究所からオクジャを連れて帰る場面だった。その施設にはたくさんのオクジャと同じ生き物であるスーパーピックが沢山いてそれを気にしながらもその場所を離れるミジャの複雑な表情だった。確かにオクジャを救う事ができて良かったが、それに夢中で周りが見えていなかったけれど、ここにいる生き物の道末はどうなるのだろうかと。そのシーンを観て私は人間は主観的な生き物で普通にそのスーパーピックが店頭に並べてあって安くて美味しかったら買ってしまうだろう。ただ自分がその生き物をペットとして飼っていたら果たしてそれを買うだろうか、買えるだろうか?未だに世界で人種差別やLGBTや宗教批判などが多分に起こっている問題があるが、その中に一人でも友達がいたら違う感情が生まれるだろう。これから人間のマインドとして、自分の声を上げるという事とそれを受容し決して理解できなくてもそういったタイプの人がいるんだという事だけでも理解する事の両方が必要になってくる。それによってさまざまな人間が共創できる未来になると堅苦しい枠組みが外され、たくさんの人が笑顔になるだろう。元々人間はそれぞれ違った生き物だからその方が自然だ。