【無料で読める】地域に対して無力感を感じた話と、そこから諦めずやったこと
前回はこのような記事を書きました。今回の話はこの続きです。とは行っても時間軸レベルではちょっとだけ遡る話になります。
勢いが失速した
OMSB手作り委員会としての私たちの活動はOdaka Micro Stand Barというキッチンカーを中心に、ソーラーライトのキャンペーンや青空市の開催によって勢いづいた。かに見えた。しかしこの勢いはまもなく失速することとなった。
1. メンバーのライフスタイルの変化
まず発起人だった花岡さんは、応援職員としての人気が終わり、杉並区に帰ることになった。そして他のメンバーも子どもができたり部署異動で忙しくなるなどして、土日にボランティアで集まっていたメンバーは、多くのケースで私が必ずいるような状況になっていた。マルシェなどに手応えを感じて勢いづきたかったが、
2. 地域への関心の変化
小高という地域そのものの関心が、2017年の1年間で大きく動いた。2017年3月11日の震災から6年という節目を境にメディアなどの人流が減り、3月31日に浪江が解除されたことで支援者の人流が減り、避難指示解除されて1年となる7月にまた人流が減っていった。実際にそこまで顕著ではなかったのかもしれないが、人手も減り人流も減っていく中でジリジリと危機感をつのらせていった。
遠い収益化
当時の売上はせいぜい1日1万円ちょっと。めちゃくちゃ調子の良いときで2万行かないくらい。これだけでの収益化は程遠い。最低5分かかるコーヒーのサーブで得られる利益が200円ばかしというのもなかなかに堪える。
コーヒーだけではなく、なにか行政の受託だったり、補助金だったりを使って収益をあげられないかとも考えた。しかし、考えれば考えるほど本来やりたかったこととは遠ざかっていくように思えた。自分の本業のITの仕事もギリギリだったこともあり、袋小路にハマっていった。
リーダーシップ研修で死を迎える
そんなとき、ETICの押切さんから研修のお誘いをいただいた。東北リーダーの支援プロジェクトとしての研修だった。なにか得られるものがあるかなぁと思い、参加することとした。2017年9月のことである。
お前何言ってるかわかんねぇよ
私にとってはまずまず苦々しい研修だった。こなにせんなに頭から否定されたのは久しぶりだったからだ。事業活動を話すなり、「何がしたいか全然わからん」「お前は人の話を聞いてない」などと怖い顔のおじさんI川さんに怖い顔でひたすらに詰められた。
そんなことはない、と思っていたが、実際問題客観的にみたら何をしたいか説明できてなかったし、自分をよく見せるために雰囲気でペラペラのことを喋っていたように思うし、実際に眼の前の講師陣の話を途中で遮っていたので、残念でもなく当然の指摘だった。そこまで周りが見えなくなり、正当化に走るほど自分自身が追い詰められていた。身ぐるみを剥がされて裸になった私は、大人気なくポロポロと涙を流し嗚咽を漏らしながら、研修プログラムをこなした。
自分がなんでここに立つのか。
研修プログラムで言われ続けたのはたった1つ。「何をしたくてなぜ自分がここでやっているのか」ということを研ぎ澄ませろ、ということだったと思う。
なぜOMSBをやるのか、なぜ高校で授業を教えているのか、なぜ青空市をやろうと思ったのか・・・そうしたことの原点を突き詰めることを求められ続けた。
「こんなはずじゃなかった」という無力感に対して立ち向かう力を、だれでも得られる社会にする。
当時はもうちょっと下手な言語化だったと思うが、今私が言える一番スマートな言語化はこの程度だ。結論的にはここに帰結する。
学校で授業を教えているのも、若いうちに課題に立ち向かう経験を経てほしかったから。OMSBをやっているのも、自分たちで地域を変えられると誰よりも示したかったから。そうやって考えていくと自分の腑に落ちる部分があった。
持続可能な収益源については解決していない
研修が終わってちょっと頭の中がスッキリクリアになったが、これからどうしよう問題は全く解決していなかった。
特に、持続するためにどうやって収益を出すかについてはまだまだ乏しい状況だった。
「まだ事業とかそんなレベルじゃねぇな」
さて、ここで研修プログラムの続き。今度は講師陣が現地に来て活動の進捗と地域の状況を見にきてくれるというやつ。多少の手応えはありつつも心臓バクバクしながらI川氏を迎えた。詰められるのはまだ許せても、やれって言われたことが全然言われたことと違う可能性があったのでおっかなかった。
そっちについてはまぁ渋い反応ながら0点ではないんじゃねーのくらいの空気感だったが、印象的だったのは現地を実際に歩いてもらったときに出てきた言葉だった。それが「まだ事業とかそんなレベルじゃねぇな・・・・」という発言だ。
言われた瞬間は私はこの発言に対して「お前は事業をやるレベルに達してない」的な意味だと思って結構傷ついたものだが、振り返ってみるとちょっと違った意味に見えてきた。「この地域がまだ事業=収益化を考えるような状況にない」という意味だ。まぁ地域見て回っての発言なんで当たり前にそっちだろと思うんだが、当時の私は、そのくらいちょっと参っていた。
事業をやるレベルじゃないとしたらなんなんだよ
「事業をやるレベルじゃない」ってなんだよ、じゃあ何したらいいってわけ?と思ってしばらく考えた。どのくらい考えていたのか覚えていないが、事業ってレベルじゃないってことは、収益化は諦めるってことか?となどと考えた。それと並行して理想として何をしたいのかも考えた。
収益化出来てないことは恥ずかしいことではない
当時の私は、ビジネスマンとしてそれなりにやってきた自負があった。ゆえに、この地域やっていることの収益化の道筋を見いだせず、ITの仕事を傍らでやりつつボランティアベースでやっていることにみっともなさや、中途半端である、という引け目を感じていた。
でも、この地域の状況はとっても難しく収益化できる状況にないのだ。だとすると、この中途半端だと思っていた私の二足のわらじ状態が、急に光輝く玉に見えてきた。逆に言えば、収益化なんてしなくても、私はITでこの地域にいながら生活費を稼いでいける。それは、収益を得るための補助金や助成金に合わせてやりたいことを歪ませるよりも、まっすぐ理想を追求しやすいということでもある。そんなふうに、思考を転換した。
収益化を諦める。ただしできることを増やせたかをKPIにする。
理想を追いかけながら自分たちの「できること」を増やしていくことにフォーカスしよう
ようやく暗雲が晴れてきた思いだった。私たちは収益化を諦めることにした。ただし、それは地域に立ち向かうのを諦めるということではない。来たるべき分岐点まで、理想を追いかけながら自分たちの「できること」を増やしていくことにフォーカスしようと考えるようになった。現実には、もうしばらく動きながらここに至るまでさらに半年くらいは時間はかかったが、兎にも角にもOMSBあらため一般社団法人オムスビは、収益化を無理に目指さない組織としての方針を確立した。
私たちも地域と無力感に立ち向かう当事者
今思えばこのプロセス自体が「「こんなはずじゃなかった」という無力感に対して立ち向かう力を、だれでも得られる社会にする。」ということの解決を当事者として地で踏み込んでいくプロセスだった。私たちは支援する側でもあったが、この地域をなんとかしようともがいては無力感を感じていた当事者でもあった。
OMSBは店舗化。平日営業にして暇なときはIT仕事を
そうなると思考は早かった。ちょうど住む家として借りることが出来た家の店舗部分を店舗することに決めた。
新生OMSB。変わったのは場所だけではない?
もっと美味しいコーヒーを出す
できることを増やす、というテーマの元まず取り組んだのはもっと美味しいコーヒーを出すことだった。
前回触れた通り、粕谷氏に教えてもらった情報などを元に、改めて自分たちのコーヒーを見つめ直し、改善した。
店舗では1杯500円で提供することにし、種類も3-4種類は置くようにして、顧客の好みに合わせてコーヒーを提供できる「スペシャルティコーヒー」の専門店として外から人を呼べるように経験値をためていこうとした。
意識的にワークショップや教室を開く場に
しかし店舗化して変わったのはメニューのこともあるが、一番に変わったのは「教室やワークショップ」を開くようになったことだ。最初はとにかく「自分の持っている知識や地域に対して取り組む姿勢のあり方を伝えていこう」という気持ちで始めたように思う。
参加者とのつながりでできることが増えていく
するとどうだろう。やっていくうちにいろんな人と仲良くなっていくと、その人の仕事のこととか得意なこと、興味のあることがわかっていくようになる。そうすると、この人とこんなことが一緒にできそうだなとか、こういうことを今度頼みたいな、と考えられるようになってくる。当初の「できることを増やす」は経験値をひたすらためていくイメージだったが、これらの活動を通して、いろんな仲間を集めることで「できることを増やす」ことでも実現できると気づくことができた。
地域の人の得意を形に
出来たつながりですぐにこの場所を使ってやってもらえそうなものは、イベントスペースを使ってワークショップやイベントとして開催してもらった。
自身も成長しながら、周りの人を仲間に
地域の課題解決は強敵に挑むPRGゲームようなもの
こうしてやってきたことは、さながらRPGゲームのようだと思った。いろいろな経験を経て自分のレベルをあげながら、時には仲間を集めて戦略を練り、ちょっとずつ難しい難易度の強敵を攻略していく。
避難地域であるという強大な課題に対しては、ちょっと仕事できる程度の若者はせいぜい最初のまちを飛び出したくらいのヒヨッコでしかないのだ。
「自身も成長しながら、周りの人を仲間に。仲間と一緒にクリアできる課題を増やしていく」
そういうわけで、「オムスビ」の組織のアイデンティティはこうして徐々に固まっていくことになった。
個の力を集約する
現在のアオスバシでもこうしたアイデンティティは引き継がれている。メインのカフェと小売では私達自身が主役となりこの場を引っ張りながら、それと同時にワークショップやポップアップ飲食店のようなことも開催してもらいながら、個の力を1つの場所に集約し、場を作り上げていくようになった。
次回は、また一旦小高全体の状況やデータに目を向けつつ、私たちの行動の変化についても話したいと思う。
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