見出し画像

「自分の考え」の反対語は「他人の考え」ではなく「老舗の鰻屋のタレ」説

じぶんは多様性をみとめるのって大事だよなっておもってるから、noteかくときに「あくまで自分の意見」というのをよく強調しているよな気がする


でもほんとのこというと、自分の意見なんてもんは、存在しないとおもってるから、こんなことを書き残してみます。なんともまとまりのない内容に仕上がっておりますwごようしゃ


自分の意見とか、考えなんてもんはない


これは、何回か書いてることなんだけど。じぶんは


いままで何度も映画みた
いままで何度も音楽きいた
いままで何度も親から言葉をもらった
いままで何度も友達や恋人と話をした
いままで何度もテレビをみた
いままで何度も本を読んだ
いままで何度も自然に触れてきた


だから、宗教観であれ、正義の定義であれ、常識の定義であれ、好き嫌いであれ、自分の意見とか考えだと思ってるものは、誰かしら何かしらの影響を受けまくってるもんなんじゃないのかなって、そう思ってる。


ゆえに、自分の言葉は、いま書いている文章それ自体もふくめ、自分の言葉では、ないと思ってる


じゃあ、結局のところ、他人の考えとか、他人の言葉を真似っこしてるだけなのか。。。って考えると、なんだかちょっと、自分がないようで、さみしい気分になるかもなんだけど


自分のばあいは、まわりの人もまたみんな、自分の意見なんてもんはないと思ってる。なぜならば


いままで一度も映画みていない
いままで一度も音楽きいていない
いままで一度も親から言葉をもらったことがない
いままで一度も友達や恋人と話をしたことがない
いままで一度もテレビをみたことがない
いままで一度も本を読んだことがない
いままで一度も自然に触れたことがない


なんて人には、出会ったことがないからだ。中には、友達と話したことがない。親と話したことがない。という人もいるかもだけど、その人はその人で、その状況を、周りの「一般」を見聞きし、比べたうえで、何かしらの意見を持っている。自分と他人を比べた(認識した)ときに、はじめて現れる「自分の考え」なるもの


じぶんは、自分の意見もなければ、他人の意見なんてものもない。そう思ってる。じゃあ、日ごろ見聞きしている、ニュースとか映画とか、親や友達や恋人との会話とか、それらは何なのか。。。


名前をつけるとしたら「輪廻」ってのがピタリとハマるよなって、そうおもう


「自分の考え」の反対語は「輪廻」。老舗のウナギの蒲焼屋さんのタレのようなもの


輪廻っていうと、一気になんだか怪しく思われるかもしれないんだけれども、、鰻の蒲焼屋さんのタレだと思うと、イメージが湧きやすいなw


ひとはみな


いままで何度も映画みた
いままで何度も音楽きいた
いままで何度も親から言葉をもらった
いままで何度も友達や恋人と話をした
いままで何度もテレビをみた
いままで何度も本を読んだ
いままで何度も自然に触れてきた


そんなことを、ご先祖さま含め、ずっーと繰り返しているだけという話。もちろん時代とか場所により、コンテンツは変わるんだろけどね。なんとなく継ぎ足し継ぎ足しつくられる、蒲焼のタレ感あるw


じぶんは、自分の意見なんてもんはない(いわゆる無我)という考え方は、自分自身も多かれ少なかれ蒲焼のタレづくりに参加している一員だと気づくことと、セットだとおもってる


そして蒲焼屋の現店主は、自分がつくったわけではない蒲焼のタレに、誇りをもって、商売していたりするんだろうな。


自分の意見がないということは、輪廻の輪の中に、自分も参加してるということに気づき、誇りをもって、日々を生きることだとも思う


あとちょっと一言くわえると、もしこれをくり返してるだけなのだとしたら、ヒトはまったく進化しない生き物だとおもう。


それでもなお、進化する理由は、やはり「受け入れて混ぜる」の繰り返しなのだろうな。そしてヒトは、時代時代の出来事を、良し悪しカンケーなく、糧とし、進化してきた生き物なのだろうな。「ゆるし」ともいえる


タレを作ったのは誰か


この蒲焼のタレのようなものが、作られたのは2000年前だと、教科書には書いてる


でも自分は、先々月くらいに「縄文時代」にめちゃくちゃハマって、縄文について調べまくったところ、縄文時代が、争いもなく、1万年以上続いたちゃんとした文明だったという可能性もある。もしこれが本物であるのなら、


2000年前のタレを引き継ごうとする店主の誇りと、10000年前のタレを引き継ごうとする店主の誇りは、ちょっと味が違うのかもしれないな


けっきょくのところ、このタレをつくった人物も、いつつくられたのかも、よく分からない。イザナギさんやイザナミさん(500歳)、アダムさんやイブさん(900歳)という説もある


分断からはじまったであろう進化のゲーム。けっきょくのところ自分の心の奥底に真実を見出す他ないもんだから。真実は一つじゃなくて、自分なりの真実を選ぶ時代なのかもだな


よく分からないのだけれども、思いを馳せる中で、見えてくるものは製造過程は「ワンネス」だということ。だれひとり、漏れることなく、繰り返し参加し、このタレをつくってる。そして、良い悪いカンケーなく何かしらの影響を誰かしらに与えたりもらったりしながら、生きてる。そんなイメージ


じぶんは左翼でもなく保守でもなく、分断を好まない。2020


最後ちょっと雑記。


じぶんは、自分の意見なんてものはないと思ってる。いっぽう、他人の意見なんてものもないと思ってる


矛盾してると思われるかもだけど。自分は、はじまりは分断からであろうとも、製造過程はワンネスと輪廻、目指すは許し。その先にあるは宇宙と飛躍的進化だとおもってる


そんな考え方をしてるもんだからだろうなw。じぶんは「分断」が好きじゃないwと同時に、分断してるヒトをなんとかゆるせる自分でいたい


チェゲバラさんが好きだし、ずっとシェアシェアいってるから、共産主義的だと思われがちだったりもする一方で


トランプさん応援してるし、反グローバリズム、反LGBTs、反SDGs的なツイートが多いから、保守派だとも思われてたりする


でもじぶんのいたい立ち位置は、保守とか共産とかでなく。しいて言うのなら「愛」だw。ただひたすらに、分断を好まない。そして自分含めそれらを許せる人でいたい


生まれてきた目的は3つくらいしかないと思ってて
①輪廻の課題に気づいて許す
②運命(全員)の人と出会う
③わくわくした日々を過ごす


まーそのくらいしかないと思ってて、とてつもなくシンプルな世界線をいま生きているwww


まとめ
自分の考えなんてものはない
良い悪い、なんてものはない
ただひたすら分断を好まない

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?