まちづくりは、自分の”やりたい”を表現すること -こっちの大山研究所所長・アートディレクター 大下 志穂-
芸術とは作品の制作だけではなく、身近なものづくりそのものである―そう語るのは、今回インタビューさせていただいた大下さん。大下さんは鳥取県米子市出身で、自身のアーティスト活動をしながら、現在、鳥取県大山町で芸術祭を主催するなどまちづくりにも携わっています。
アーティスト活動だけではなくまちづくりに興味をもった経緯や、地方で芸術祭を開催しようと思ったきっかけなどについて伺いました。
アートを通じたまちづくりに取り組むきっかけ
大下さんが、まちづくりに興味をもったきっかけは何だったのでしょうか。最初にご自身のルーツについて伺いました。
大下:「私は鳥取県米子市出身ですが、大学は東京でした。学生の時から国際交流や語学に興味があったので、大学卒業後はタイに移り住み、ボランティアや国際交流員などを経て、アパレル企業で3年間働き、その後カナダに留学し、CGアニメーションを学びました。
帰国後は、現代アーティストである村上隆さんが代表取締役を務める会社に就職しました。アニメーション部門でアーティストの映像作品を制作し、現場でも色々と学びました。」
東京、タイ、そしてカナダと様々なところで暮らしてきた大下さん。10年程前の地元鳥取での一つの出会いが、まちづくりに興味をもったきっかけだと続けます。
大下:「ちょうど10年くらい前に鳥取に帰って来ました。当時は地域で何かするといったことは全く頭になく、最初の3年間は自分の作品制作に没頭していました。
しかし、制作活動を行う中で、”鳥の劇場(※1)”さんに声をかけてもらい、子ども向けの舞台美術などに携わるようになったんです。
さらにその頃、ちょうど鳥取県が”アーティスト・イン・レジデンス(※2)”を開始していたこともあり、『アーティスト・イン・レジデンスの一つの事業をやってみないか』と、声をかけてもらったことが本格的に地域の活動に関わるきっかけでした。
アーティストが作品制作をする環境整備を目的とし、そのコーディネート役をやる中で、地域のみなさんと一緒にまちづくりに関わるようになりました。」
(※1)鳥の劇場
2006年1月、演出家・中島諒人を中心に設立。鳥取県鳥取市鹿野町の廃校になった幼稚園・小学校を劇場施設へ手作りリノベーション。収容数200人の“劇場”と80人の“スタジオ”をもつ。劇団の運営する劇場として、「創る」・「招く」・「いっしょにやる」・「試みる」・「考える」の5本柱で年間プログラムを構成。現代劇の創作・上演と併行して、ワークショップ、優れた作品の招聘、レクチャーなどを実施する。2017年度より、「若手演劇人の成長サポート」という柱を追加した。
出典:鳥の劇場公式HP
(※2)アーティスト・イン・レジデンス
各種芸術制作を行う人物を一定期間ある土地に招聘し、その土地に滞在しながら作品制作を行うこと。
弥生時代からつづく、”究極の地元愛”が源泉
地元でのつながりからアーティスト・イン・レジデンスに関わることになった大下さんは、さらに”イトナミダイセン藝術祭”といったアートプロジェクトを主催。なぜ、自ら新たな芸術祭を開催するに至ったのでしょうか。
大下:「アーティスト・イン・レジデンスの取り組みで地域づくりに携わる中で、年を重ねるごとにプロジェクトが多岐に渡るようになったのと、自分たちの暮らし、すなわち”イトナミ”の中にあるアートをみなさんと共有することの大切さに気づいたからです。
また、なぜ”大山町”で開催しているのかというと、私自身今住んでいるところが、大山町の長田というむきばんだ史跡公園の近くの集落なんです。私はもともと鳥取県の中でも海側で育ったので、山の中にあるこの地域がすごく新鮮でした。
例えば、山菜を摘み取りにいって保存食にするとか、農家さんどうしが助け合って維持するコミュニティとか、神社やお寺が近くにあったりとか。太古の昔、弥生時代からあったような原風景が残っている気がしたんですよね。
だからむきばんだ遺跡ををもっと詳しく知りたいと思って、女子考古部に参加したり、大山アニメーションプロジェクトのモチーフにしたりしました。
そうした中で、古い時代から受け継がれてきた地域の伝統をアートと一緒に藝術祭というカタチで表現してみたくなったんです。」
大下さんから出た”弥生時代”というキーワード。現代から遠く遡った時代が、芸術祭のタイトルでもある”イトナミ”に由来していると語ります。
大下:「弥生時代って、日常的に使う土器が美しい形だったり、当時の人たちが”美”を追求していたんだなというのが、随所に溢れているんですよ。
あとは、一見、弥生時代と現代って接点がほとんどなさそうですが、脈々と受け継がれる伝統や文化、芸術の面影が色々なところに残っているんですよね。
弥生時代を見習って、暮らし自体を広く芸術として表現できないか。弥生時代から現代へとつながる芸術の連鎖、言い換えれば弥生から現代へと続く”究極の地元愛”みたいなものを表現したい―”イトナミダイセン藝術祭”という名前にはそんな思いも込もっています。」
アートの敷居は高くない
芸術祭のそれぞれのプログラムについては、大下さんのどのような思いが込められているのでしょうか。
大下:「シンプルに”ものづくりって楽しいんだよ”ということを伝えたいのが一番です。私も制作側の人間ですが、自分で一から創れる喜びというのは、本当に格別なんです。
元来、アート(art)って”自然に手を加える”という意味の”artificial”が語源なんです。つまり、人間の手が加わってはじめて芸術になる。
そういう風に考えると、弥生時代の人たちが作る道具や、さらにその道具を使った衣食住自体もアートだと思うんです。
芸術・アートという言葉は敷居が高そうですけど、服を原料から作ってみたり、石から石包丁をつくってみたり、実際体験してみると、ものづくりや芸術を自分ごととして捉えることができる。
そうした身近なものづくりを通して、自分を表現するアート活動を大切にしています。作られたものが置いてある美術館のような感じではなく、”体験”を重視しています。」
さらに、アート活動の敷居を下げるには地域を巻き込むことも大切だと続けます。
大下:「あとは、アートって見に来てもらうまでの敷居も高いと思っています。なので地元の人が来やすいような仕掛けというのを常に意識しています。
例えば、地域の人と一緒に作り上げた舞踏ミュージカル。みなさんはじめての舞台なんですけど、完成した作品はどれもプロに負けないくらいで、お世辞なしで各方面から好評をいただきましたね。
他にも、初年度には、地域の人に声をかけて、写真家さんに撮影してもらったポートレイト写真の作品展示もしました。全員というわけにはいかなかったですが、約8割近くの方に協力していただき、最終的には写真集も作りました。
進学や就職、結婚を機に地域外に出てしまって、子どもの頃以来見ていなかった人の顔を見ることができたなど、たくさんの方に喜んでいただきました。
藝術祭と聞くと、アーティストの作品を展示しているだけのように感じられますが、実はこのように幅広い世代を巻き込んでやっているんです。参加者も2018年が約2500人、2019年が5000人と増えています。
地域の方々と一緒に取り組むことで、今まで敷居が高かった芸術に触れてもらえるし、魅力も口コミでどんどん広まります。」
普段の生活の場を大切に。作品は自然と集まってくる
毎年様々な方が楽しめるよう、たくさんのコンテンツを作っている大下さん。「正直、毎年新しいことを企画するのは苦ではありませんか?」と素朴な疑問を投げかけてみました。
大下:「それが、全然苦にならないんですよね。自分がやりたいこと、知りたいこと、会いたい人に声をかけているので。
1年ごとに出会う人たちもどんどん増えてくるから、その分だけアイデアもご縁も増えていく感じで。
”イトナミ”をテーマにしている芸術祭ということもあって、普段の生活の場をとても大事にしているので、作品を集めているという感覚ではなく、日々の出会いの中で自然に集まってくるといった感覚ですかね。」
新型コロナウイルスの影響で大変だった2020年も、藝術祭としては思わぬ収穫もあったと続けます。
大下:「どの作品ももちろん素晴らしいものなんですが、あるとき地元鳥取のアーティストさんの作品で印象に残ったものがあるんですよね。
鳥取のアーティストの現状を考えるとき、鳥取って作品を発表したりする機会がまだまだ少ないんです。
一流の地元のアーティストがたくさんいるのに、発表する場がないというのは地元の人間からしても残念じゃないですか。
そうした中でちょうど今年は新型コロナウイルスの影響というのもあるんですが、県内を中心に山陰のアーティストに絞って"イトナミダイセン芸術祭”で作品を展示することにしました。
完全予約制にしたので、入場者数は前年より少なかったのですが、それぞれの作品もギャラリー全体としての完成度もとても高く、作品についてアーティストに直接話を聞きながら、じっくりと見ることができ、今までで一番来てくれた方が感動してくれたように感じました。」
まちづくりに大切なもの。それは、、、
(妻木晩田遺跡からみえる大山のまち)
最後に、大下さんがまちづくりにおいて大切だと思うものについて教えていただきました。
大下:「まちづくりって『まちづくりをしよう!』と大義名分を掲げてすることじゃなくて、住んでいる人がやりたいことを実現できる環境づくりのことじゃないかなと今は思っています。
初めのころは、『芸術は、まちづくりに有効だ』という考えを押し付けている部分が少しあったと思うんです。
もちろん自分ではそんなつもりは全くなかったんですが、今振り返ってみるとそう思える部分が多々あります。実際、自分も勝手に気負ってしまって、しんどかったですね。
地元の人全員を「巻き込む」ことを目標にしてしまうと、その場所に住んでいる人への押し付けにしかならず難しいというのがまちづくりや地域づくりだと思います。
私は『関わりたいと思ってくれる人だけに関わってもらえたらいい。』と思えるようになってからとても楽になったし、エネルギーを注力する先を楽しい方へ集中させることができて、結果的に藝術祭も確実によいものになりましたね。
自分で実際に住んで、関係を築きつつ、やりたいことをカタチにしていった結果、気づいたら地元の人に喜んでもらっている。そうしたことの積み重ねが、結果としてまちづくりといえるのではないでしょうか。」
大下さんの人生そのものがまさにアート活動―そういった印象を受けた今回の取材。まちづくりに大切なのは自分のやりたいことを表現すること、という大下さんの自然体の言葉がすとんと胸に落ちました。
アーティストが作品として選んだのは、弥生時代の古き良き日本の暮らしが感じられる、鳥取県西部にある山間の小さな集落でした。
大下 志穂(おおした しほ)
こっちの大山研究所所長。鳥取県出身。自身もアーティストである傍ら、ITONAMI DAISENアートプロジェクト主催。大山周辺地域を活動拠点に、暮らしの中にあるアートやデザインの自由で多様な可能性を探求・実践しながら、「思い」や「志し」をともにする人たちとゆるやかにつながりながら、誰もが豊かに暮らせる地域社会づくりを目指す。 地域に根ざしたさまざまなアートプロジェクトやイベントの企画・運営、ひとの営みに関わるデザイン制作・提案、アート作品制作なども行う。空き家を活用したギャラクシースペース『妻木ハウス』の運営など活動は多岐。
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ITONAMI DAISENアートプロジェクト
公式ホームページ:https://www.itonamidaisenartfestival.com
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