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人の”毒”の恐ろしさ

人が生きる上で大事なのは健康であること それは肉体的に限らず精神的にも言えることだ 人の毒を感じ続けた人間は気の集合体を体に受けて体が重くなったり病気になったりする 人の毒とはなにか、妬み、僻み、憎悪、負の怨念のことだ 負の怨念は人から人へとものすごいスピードで伝染する まるで感染症みたいなものだ 親の毒、恋人の毒、友達の毒、はたまた他人の毒 気が綺麗で嘘のない人は気が軽い 体も軽いし、存在が軽いのである 毒を感じ続けた人間は、周りに無意識のレベルで周囲に撒

    • 私だけの担当医

      彼と出会ったのはいつだろう おそらく1年ほど前だ その頃の私は統合失調症の症状もひどく、恐ろしく将来を悲観していた そんなときに精神科医の彼と出会った 彼は遠方に住んでいたが毎日私の体調を気にかけてくれるように長電話をくれた 食事中も移動中も、駅のホームやトイレまで そんな彼と会いたくなったクリスマス 私は彼と初デートすることになった クリスマスの日私たちは付き合うことになった そこから半年間、彼は毎日会えないときも電話をくれ、引越の手伝いも長距離の旅行もたくさ

      • 20代と30代。移ろいゆく美

        かくいう私も30代になった 20代の時、年齢を重ねることがすごく怖かったのを覚えている だが、現実今のほうが20代の時より圧倒的に幸せだ 30代の美しさ、それは単なる美貌だけのものでもなく、醸し出される人生観や表情など総合的なもの 人間は生きている限り、生きていた証を顔に刻み続けていく よく御高齢の方が、あの人は人相がいいわねといっていたが、その意味もようやく分かるようになった DNAや大金をはたいて行う美容施術ではあがらえない老化 でも、生きていた証なのだから

        • 自分基準と他人基準

          ぼーとしてたら、もう1月も終わりそうです。 今回お話するのは自分基準と他人基準についてです。 私が良く考えるのは、人間というのはなるべく得をしたい生き物だということ 面倒なことはできればやりたくない、けれども人から恩恵を受けたり愛情を受けたりしたい ギブとテイクなら、ギブよりテイクがほしい そんな生き物だと思います ですが30代になって思うのは、自分がなりたい自分になるのが一番だよねということ 強欲な私は、自分より楽をして幸せな思いをしてる人がどこかにいないかな

          希望を見いだせない日々

          生きていくことで一番大事なことってなんだろう きっと希望を持つことなのではないかと思う ラインを片手に誰か大切な人とやりとりする、仕事に打ち込む、スタバで友達と他愛のない話をする なんだっていいけど 明日への希望がないと人間は何を燃料にして命をつないでいくのだろう 世の中の仕組みや悪い噂を聞く度反吐がでそうなほど吐き気がしてきてとまらない きっともっときれいな世界に生きたかった人間なんてごまんといるだろう 世界が灰色に見えて煤がかかったようなそんなイメージで最近

          希望を見いだせない日々

          新陳代謝という名の世代交代

          新陳代謝は、古い皮が剥けて、新しい皮膚に生まれ変わること どんな組織でも言えることだが 芸能界は、次々と若い新人が出てくる 会社でも若い新人は次々と入社する それは人間だけでなくペットショップでも スーパーでも日々起こっていることである 未来の希望と、果てしない可能性に溢れた若者 華の10代から20代がそれに当たるだろう 一世を風靡し、世間を賑わせた芸能人ですら、そんな影響力のある人ですら 新陳代謝が行われればすぐに自分の座を誰かに渡さなければならない 恋愛ではそ

          新陳代謝という名の世代交代

          記憶に残る女の正体

          彼女、友達、セフレ。どんな立ち位置でも、記憶に残る女は一定数いる。 男が、何でもう関係ないはずなのに頭にあいつが出てくるんだ・・と頭を抱えてしまうような存在。 彼女らはなぜ、人の心に住み着くのか? 取り繕った強烈なキャラを続ければ、記憶に残るか?いや、決してそうではない。 生きづらさ、優しさ、繊細さ、そしてその人の生き方そのもの、それが存在感となって人の心に住み着くのだ 例え、それが多少苦い思い出だとしても。 例えば、口下手な男性で感情を出すのが苦手という男性がい

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          幸せを自ら遠ざける私

          世の中は満たされていない 目の前にお金があれば、相手のことなんか関係なく盗む人もいる 金、物、人、立場、色々なものに固執して生きている 前にとある人に「お前さえいなければ私が一番だったのに」と言われたことがある こんなミジンコみたいな存在なんてくれてやると頭の中で思っていた なぜ、人の幸せを喜べない人が多いのだろう 祝福して皆が自分の道を歩んで幸せになれればそれが一番いいのに 幸せになるためになぜ人を蹴落とそうとしたりするのだろう 誰かと比べるのだろう そう

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          マウントとられがち(勝ち)ってこと

          マウントってされたらすごく気分が悪いですよね。 男性のマウント、女性のマウント、内容は違えども いわば”自分の方が優れてますよ”という喧嘩売りのようなもの。 そんなマウントについて、私はよく思うことがあります。 それは、マウントする人っていうのは、基本的にマウントかけた方が負けているってこと。 マウントをかけなければ、精神状態が落ち着かない=余裕がない 人なんです。 本当に実力がある人は、わざわざマウントもしないし 張り合おうとしてる時点で、負けているんです。

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          思い出が美しい理由

          ふと思ったことがある。 大切な人との思い出って、いつも思い出すのは断片的な一瞬であること。 メインイベントじゃなく、帰り道やちょっとした会話、笑顔など。 花火大会に行ったはずなのに、帰り道のふとしたあの人の笑顔が思い出される そんなこともあると思う 昔家族で流れるプールに行ったことがある もう15年以上も前だが、たまに夢でその映像だけ 父親と浮き輪に捕まりながら流れる映像だけ 夢に出てくることがある たくさんメインイベントはあったはずなのに 家族で祖母の家

          思い出が美しい理由

          命の重みって誰が決めますか?

          スーパーに行くと、並んでいる食肉の数々。 今日は、すきやきにしようか、焼肉にしようか、 野菜炒めにしようか 恋人と食べる大事な夜ご飯、一人で晩酌のアテにする鶏皮。 そんな日常の中でふと思うことがある。 確かに食物の恩恵を受けているのは確かだし ありがたく頂いているのだけど なぜ犬は食べないのが常識になっていて 豚や牛、馬などは平気で食べられているのだろう。 そう考えると、命の重みとは何で決まるのだろうかと思ってしまう。 造形的に可愛いから、飼育に適している

          命の重みって誰が決めますか?

          自分らしくいるということ

          私は地方出身で、現在東京に住んでいる、 もう早6年になり、すっかりこっちでも 地方出身者として見られる方も少なくなってきた。 すっかりこっちの人として、好き勝手に振る舞っている。 東京に来てから、まず初めに思ったことは、 都会の人は、人を見ない、気にしない、 それほど他人を見ていないよ、 ということは、大きな間違いだった。 むしろ足並みを揃えて会社員は、会社員らしく 経営者は代表らしく、と空気を読んで 周りから浮かないように、息を潜めるように 生きている

          自分らしくいるということ

          色気という名の目に見えない魔物

          たまに思うのが、色気とは何かということ。 意図的に出そうと思えば露出が多くなりがちだが それがエロいかと言われたら、そうでもないのが色気。 スタイルが良くても、顔が可愛くても美人でも 色気を感じない人も居る。 年齢に比例することもあるが、若くても色気がある人もいる。 何の違いかと考察した結果。私が思うに、色気とは ”儚さ”と近い存在だと思う。 人間の強さは確かにすごいエネルギーを持っていると思う。 けれども、色気は多少の人間らしさ、脆さがあって 初めて出る

          色気という名の目に見えない魔物

          等身大の自分でいること

          20代前半の頃、港区に憧れていた私は 家賃12万ほどのグレードの高い分譲マンションに引っ越すことにした。 当時OLをしていたが、OLの給料では賄いきれない家賃や 生活費のために銀座で働くこともあった。 夜のお仕事や、色々なお仕事を経験した今は 港区に住んでよかったなと思っている。 ずっと住みたいか、と言われたら、私には敷居が高く 居場所としては心地よくなかったため 引っ越す事に決めたが、ここ2年の生活はすごく充実していた。 東京の中でも、群を抜いて富裕層が多

          等身大の自分でいること

          幸せのコンフォートゾーン

          最近思うのが、幸せとは何かということ。 物質的に豊かでも、幸せじゃない人はたくさん見てきた。 コンフォートゾーン=快適な領域 幸せ慣れや、不幸慣れをしてしまうと、コンフォートゾーンも変わってしまう。 ずっと幸せだと思っていた人は、それが当たり前になるし 逆に、不幸だと思い込んだら、不幸が快適になってしまう。 自分で幸せのコンフォートゾーンを、狭くしないことが大切ではないか。 お金があるから幸せ、じゃないことはここ2年で誰よりも感じてきたことでもある。 大事なの

          幸せのコンフォートゾーン

          「メンヘラ」が断薬した結果

          #習慣にしていること 「新型コロナウイルス」が世の中で流行してから、SNSなどで特に目立つようになった、「コロナ鬱」。 ”死にたい””といったネガティブな単語がSNSでも目立つようになった。 かくいう私は、19歳の時から向精神薬を飲んでいる。 かれこれ、27歳までの8年間もの間、診断された病名を信じ続け、 疑うことなく薬を飲んできた。 そんな私は、最近薬を断薬した。 なぜ断薬したかということ、薬を飲んでも一向に症状が改善されず 昔から悩んでいた妄想も酷くなった

          「メンヘラ」が断薬した結果