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日本に依然不足するサッカーくじという予想を楽しむ文化と森保監督が弱者相手にベストメンバーを組む理由
写真:Shigeki SUGIYAMA
富士フイルムスーパーカップ、ヴィッセル神戸とサンフレッチェ広島は今季を占う重要な一戦として注目される。totoのホームページに目をやれば、神戸1-0の勝利5.8倍、広島1-0の勝利7.1倍、0-0の分けが9.8倍となっている。神戸やや有利の予想であるが、欧州ならばその予想のオッズはいまごろ巷に溢れかえっている。ネットからも街中を歩いていても、簡単に目に飛び込んでくる。予想スコアのみならず得点者も賭けの対象に含まれる。
ブックメーカーの予想が広く一般に浸透している欧州に対し、totoのホームページに飛ばない限り、概要が分からない日本。そのある意味での健全さが、日本サッカー界発展の足枷になっている。
サッカーは他の競技に比べて番狂わせが多い特性がある。こう言っては何だが、オッズを眺めながら展望すれば博打的な妙味が広がる。順当に行きそうなのか、波乱が起きそうなのか。予想する楽しさを実感することができる。筆者は20年近くにわたり日本と欧州を頻繁に往復し、年の半分以上を欧州で過ごした経験を持つ。現地では予想オッズと睨めっこしながらスタジアムで試合を観戦する毎日を過ごした。すると特殊能力ではないけれど、ある種の感覚が知らぬ間に研ぎ澄まされていたことに気付かされることになった。
試合が始まって各選手が一通りボールに触れた頃、開始して5分ぐらい経った頃、閃くのだ。試合展開が見えてくるのだ。もちろんすべての試合ではない。ある条件にはまった場合に限られるが、番狂わせが起きそうか否か。確信を持てることがある。
ブックメーカーはどちらを有利とみているか。それぞれの関係は60対40なのか、70対30なのか、はたまた52対48なのか。それぞれの立ち位置はピッチ上の選手たちの頭にも当然、入っている。たとえば70対30のように大差がつく関係にある試合だと分かりやすいのだが、5分も経てば実際にはそれほどの差がないことが分かる場合がある。もちろんその逆もあるが、前評判が70対30だったにもかかわらず、蓋を開けたら60対40だったとなれば、弱者のモチベーションは俄然上昇する。一方、話と違うことに気付いた強者は慌てる。となれば70対30の前評判は60対40に縮まる。お互いの精神面を加味すれば55対45ぐらいまで接近することになる。番狂わせの予感は瞬間、ぷんぷん漂い始める。
前評判に対し開始5分でどこまで違和感を抱けるか。その感覚は繰り返すほどに養われる。開始5分は競馬に例えるならパドックだ。一人ひとりが全体の中にキチンとハマっているかを確認する時間帯にある。両軍の布陣を確認する時間帯であり、穴となる箇所がありそうか、想像する時間帯でもある。
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