岡潔の情緒とは何か?
岡潔 世雨の音 抜粋
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「価値判断」が古人と明治以後の私たちとでは百八十度違うのである。
一、二例をあげると、古人のものは、
「四季それぞれよい」
「時雨のよさがわかる」である。
これに対応する私たちのものは、
「夏は愉快だが冬は陰惨である」
「青い空は美しい」である。
特性を一、二あげると、私たちの評価法は、他を悪いとしなければ一つをよいとできない。
刺激をだんだん強くしてゆかなければ、同じ印象を受けない。
こんなふうである。
これに対し古人の価値判断は、それぞれみなよい。種類が多ければ多いほど、どれもみなますますよい。
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と、岡潔さんは言ってるが、人間はどうしても相対世界の中で生きているので、正しさ、間違い、とわけて整理してしまう脳の機能がある。
人間とは実はAIの機械のように「悲しい」→「嬉しい」という条件反射しかできないロボットだ、ということを言っている人がかなりいる。
自分の場合も、どーせ自分ごときなんか、誰にも愛されるはずがない間違った存在だ。と強烈に自分を規定している。
(※これがいい、悪いじゃなくて人間は誰もが自己否定をしてしまう仕組みなので、キャラが違うだけで誰もが自分にダメ出しをしている)
その愛されるはずがない自分だから、愛されるために、正しい行動をしよう!という強烈なアクセルをぶんぶんとふかし、
生きている。
自分の主体性を持って行動していると、思い込んで。
なので、話しをもとに戻すが、岡潔さんの言っている情緒とは、相対世界を超えた1つのつながった世界のことを伝えている。
岡潔さんは数学を研究してた方なので、数学は数字という人間にとって客観的な情報伝達方法だけど、
その数字も結局は、人間の脳の中の出来事で、情緒を表すことができず、数学研究から、人間の教育、脳機能などの研究に晩年は費やしている。
人間とは何か?
それが情緒そのものである、という結論に至っているような気がする。
実は、ここだけの話し、、、、、。
情緒というイメージをもこえた、情緒を創り出している「そのもの」それが、
本当の人間であり、本当のあなた、でもあります。
ぜひ、一緒に情緒を超えた先を、ともに。