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出川哲郎のゴムパッチンは、まるで人類の因果(カルマ)の歴史みたいだ。


「理不尽に怒られ、キレられることが一番ムカつく!」

このことが自分にとって、一番、むかつき、イラっとします。

その「理不尽」というのは人間共通の正しさであり、

ふつーは、こうだよね。
常識的には、ありえない!
倫理道徳的な観点からして、相手がおかしくねぇ?
など、など。

とにかく、「100%自分が間違ってないのに、間違えている!」みたいに、
怒られる、キレられる、否定される。

そんな現実、現象が起きることが、嫌で、

ひたすら、ただ、ひたすら、

「怒られないようにしよう」そのためだけに、一生懸命、能力を発揮して
頑張ってきた人生だったように思う。

けど、結局は、「怒られる」みたいなことが、ずっと起きて、永遠に
「怒られない私」には、ならず。

なんでだ?

なれずに、ずっと苦しんできた人生でした。

これは実は、人間共通の因果(カルマ)、であり、強烈な思い込みであり、
誰もが絶望している仕組みがある。

その仕組みとは、端的に言うと、人間は自己否定してしまう。

そう。

人間は誰もが自己否定をする仕組みになっている。
(※大事だから、2回言ってみた)

その仕組みが理解できずに、ひたすら、因果(カルマ)がある、と思い込み、
マイナスから、プラスに移動しようとして、結局は、出発のマイナスに戻される。

まるで、

口にゴムをくわえて、伸ばして、伸ばして、それが、限界がきて、びゅっと元に戻り、ばちんっ!と顔に当たり、

「痛いっ!」みたいな、まるで出川哲郎のようなリアクション芸人がよくやるような、「それ」を表現しているかのよう。(人間の歴史は)

ゴムパッチンのように、因果(カルマ)から人は抜けられない、という強烈な思い込みがある。


その因果(カルマ)から抜けられない1つの要因に、

これは、言いずらいけど・・・。

仏教の悟りのイメージがある。

仏教の教えに、
「良い行いをすれば、良い事が起きる」
「悪い行いをすれば、悪い事が起こる」

ということがある。

それが絶対的に正しい、と人間が思い込んじゃっている。

だから、前世で悪い事したから、今世で苦しむんだ、とか。
今世で悪い事すると、来世で悲惨な人生を送るから、いいことをしよう。

みたいな考えの正しさに掴まれてしまっている。

けど、そもそも、「良いこと」「悪いこと」の基準や、それをしたとしても、相手が喜ぶ、悲しむは、相手が勝手に選択するだけ。

良かれが、悪かれに。

悪かれが、良かれに。

人間関係は、むずかしいーよねー、本当に(汗

話を元に戻すと・・・

「理不尽に怒られ、キレられることが一番ムカつく!」と言う自分の感情を暴露しましたが、

この現実、この現象は、実は自分が創り出している。

そう。

自分が創っているということは、自分のアイデンティティーが「その現実画面を創っている」という仕組みになる。

もっとシンプルに言うと、

「自分は間違っているから、怒られれる私」を選択している。

だから、間違ってる!怒られる、という現象が起きる。

実は、すべての苦しみ、痛み、悲しみの原因は、自分のアイデンティティーだった。

と、いうことです。

なので、その人間共通のIDが自己否定する、という仕組みを理解して、
次の段階としての悟りの知恵として・・・・

「自分は間違っているから、怒られれる私」を

主体的 

に、クリエイティブしている。
に、創造している。
に、「わざ」とやっている。

この創造主感覚に、が、真の悟りの段階になる。

どうしても、悟りと聞くと、宇宙がデッカイ!そして、私はちっちゃい。
という構造になる。

じゃなくて、

ではなくて、

デッカイと思ってた宇宙が、実は、ちっちゃい。

本当のあなたは、もっとデッカイ。

だから、あなたが宇宙が点になるぐらい、デッカイんだ!

そのあり方が、真の悟りであり、本当の尊厳であり、人間の本来の在り方になる。

このイメージを共有するのは、とても興奮して鼻血が逆流するぐらいテンションが高くなるけど、

出川哲郎のゴムパッチンは、まるで人類の因果(カルマ)の歴史であり、
それをも超えていけるのが、

あなたの本来の尊厳であり、人間が1段階到達する生まれた理由になる。

仏教の教えでもある?因果応報をも超えていける
「あなた」に出会える。

では、今日は、仏教越えの世界を語ってみました。
(※インドの悟りの限界を体感を通して知っている自分だから、この文章が書ける)

インドの、仏教の悟りの限界を知りたい方は、メッセージください~♪





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