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アインシュタインとタゴールの会話で人間関係の悩みが0になる

アインシュタインとタゴールの会話
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タゴール:この世界は人間の世界です。世界についての科学理論も、所詮は科学者の観方にすぎません。

アインシュタイン:しかし真理は人間と無関係に存在するものではないでしょうか?例えば、私が見ていなくても月は確かにあるのです。

タゴール:それはその通りです。しかし月は、あなたの意識になくても、他人の意識にはあるのです。人間の意識の中にしか月は存在しない事に変わりません。

アインシュタイン:私は人間を越えた客観性が存在すると信じています。ピタゴラスの定理は、人間の存在とは関係なく存在する真実です。

タゴール:しかし科学は月も無数の原子が描く現象であることを証明したではありませんか。あの天体に光と闇の神秘をみるのか、それとも無数の原子をみるのか。もし人間の意識が月だと感じなくなれば、それは月ではなくなるのです。

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アインシュタインとタゴールの意見が食い違う大前提には、

共通土台として、

「この世界、宇宙は、1つしかない」

し。

「この世界、宇宙は、私とあなたは、まったく同じ世界をみている」

という2つの人類共通の大きな落とし穴があるなぁ、と思った。

この2つの思い込みの落とし穴を、べつの共通土台に置き換えると
アインシュタインとタゴールの会話が、

「そうだよね~、確かに!うん、うん!」と人間の認識についての、ただの確認の会話になります。

では、この2つの大前提にすり替えてみると・・・

1、この世界、宇宙は、認識の数だけ存在する
2、この世界、宇宙は、私とあなたは、まったく違う世界をみている

となります。

じゃぁ、ちょっと具体的に解析してみますね。

1、この世界、宇宙は、認識の数だけ存在する
→ よく映画を1億人見たら、1億人のストーリーの映画が上映されている、と例え話しを聞きますが、そのイメージが分かりやすいですが。

人間の脳は、可視光線の反射の光を、人間の目玉の「網膜」が捉え、
「視床」→「視覚野」(後頭部の脳みそ)に情報として送られます。

この時点では、映像がなく、ただの情報であり、その情報を脳が編集、デザインし、

それを目からビーム光線のように、この世界を映しだします。

映画館の映写機みたいなもんですね。映画のスクリーンに映像がもともとあるわけじゃなく、
映写機のフイルム(脳)が、映画のスクリーン(現実画面)を映し出しているに過ぎない。

だから、この世界はある意味「わたしは神だ!」と言って創造主感覚で、
えらそーにして生きても問題はないと思う。

だから、もちろん
2、この世界、宇宙は、私とあなたは、まったく違う世界をみている

ということになる。

え?

自分1人?ぼっち?

寂しいじゃん・・・・。

そう、寂しいし、孤独。

だから全ての出会いに歓喜、感動できるセンスを持っているのが人間になる。

よく人間が生まれる確率が、1億円の宝くじが100万回連続で当たるぐらいの奇跡なんだ!と言われるけど、

存在しているだけで超奇跡!!! って拳を天に振りかざして、いつでも、どこでも、わが生涯に一片のくいなし!!!と

一瞬、一瞬を感動、歓喜で生きれるのが人間の無限の可能性になる

寂しいし、孤独だから、もちろん、ムカつく、いつもプリプリ怒りまくっている仕事場の嫌いな上司とかも、

出会えることが嬉しい。
(※嫌いな上司に会うのが嬉しい、って一瞬、ドM?って思いやすいけど)

いい、悪い、プラス、マイナス、関係なく、出会いが感動になる。

だって、ぼっち、だから。孤独だから、本当は出会えないから。

ぼっち、孤独、不安って感情的には、恐怖、不安がきやすいけど、
真理から解析したら、

自分たちは、たった1人

そのたった1人だから、逆に、恐怖、不安もない。

え?

意味がわかなくなりそうだけど、こうゆうこと。

たった1人だから、この世界、宇宙をどう思うのか?も自由

世界、宇宙と大きな概念から、小さい概念に移動したようにみれる
ムカつく上司。

実は、それも一緒のことで、

ムカつく上司は、存在しない。

ムカつく上司って自分が存在させている

だから、怒られた!嫌われた!仲間外れにされた!って、外からの刺激で
右往左往する必要はない。

だって、ムカつく上司もいないし、怒られた、嫌われた、仲間外れにされた、って現象は、存在しないし、

ありえないこと。

そう、あり得ない幻であり、絶対的に、それは起こりえない。

だから、ムカつく上司がいる、怖い~とか、怒られるから嫌だ!とか、嫌われて、仲間外れにされるのが嫌だから、愛想よく仲良くするフリをする、とか

そんなことは、しなくていい。

だって、「ない」し、「存在しないんだから」

あるとすれば、

ムカつく上司がいるっていう思い込みを創ってる神のわたし。

怒られるのが、怖いって思い込む現象を思い込んでいるのを創っている神のわたし。

嫌われて、仲間外れにされるのが嫌だ!って思い込む現象を創っている神のわたし。

それしかない。

ムカつく上司や、怒られる感情、嫌われて仲間外れにされることは、

神であるわたしが創った。

だから、同じように、自分で創ったんだから、創らない、も選択できる。

夕食にカレーライスを創ったのならば、夕食に肉じゃがを創るという、

カレーを創らない選択もできる。

それが人間の選択できる可能性になる。

なので、軽くまとめると、アインシュタインとタゴールの会話は、

目の前の人間関係のコミュニケーションが、すっごく楽になる要素が
盛りだくさんっ

ってこと。

自分も最近、友人にLINEをメッセージしたけど、待てども、暮らせども返事が来なくて、

あ、嫌われたかな。。と凹みそうになったけど、

嫌われた現象が起きたんじゃなくて、神であるわたしが嫌われたという思い込みの現実を創ったんだ、と

認識を変える事で、全然、気にしなくなりました。

ぶっちゃけ、人間って、自分自身で勝手に、苦しみ、悩み、悲しむことをしているので、

外からの刺激で、悩むことはないし、もし、外からの刺激(誰か)がいるとしたら、

それは、外の世界に影響を受けた私。という被害者として、人生のかじ取りを他者依存で、生きることになる。

だから、もし?あなたが言った言葉によって、相手が傷ついた、って事件があった場合は、

人間界のルールっぽい倫理道徳があるので、建前で、ごめんねー、って謝っておいて、

心の中では、罪悪感0で、何も気にする必要がない。

気にする必要がないどころか、これは酷い人!って言われそうで、言い方が難しいけど、

相手は勝手に自分で傷つき、悩み、苦しみ、悲しんでいる。

だって、真理からみたら、人間は、ぼっちだし、孤独だし、目の前の人は存在しないから。

どこまで伝わったかは、分からないけど、

世の中の紛争、戦争、すべてが、自分がみている世界、宇宙は、相手も同じ世界をみているはずだ!という

強烈な思い込みから、発生してますよね。

ということで、今日は、アインシュタインとタゴールの会話から、

人間関係が超~楽になるイメージをも共有する内容になりました。

では、また~

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