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ノ・ジェスが大好きだ!
大好きな人がいる。
ノ・ジェスという韓国人のことが大好きだ。
尊厳ロマリアプロジェクト|Noh・Jesu(ノジェス) (noh-jesu.com)
大好きすぎるから、期待もし、ガッカリもし、「何やってんだよ?」って
怒りもしちゃう。
もっと、もっと、こうして欲しい、こんな理想的な人であって欲しい、と。
なんか、オリンピック選手候補で、筋肉もりもりで力持ちで、かっこよくて、大好きな父親が、
仕事で、取引先の人にペコペコ頭を下げる姿に、悔しさを感じるのと似てるなぁ、とオーバーラップもするけど。
そのオーバーラップがどんなものかと言うと、
最高の真理を伝える、社会、世界を大きく愛のプレートに大転換させることができる技術を開発したにも関わらず、
韓国人、言っている意味が難しい、などなど、様々な理由があると思うけど、
ノ・ジェスが日本社会に影響力がまだない、ことに悔しさを感じるのと一緒。
話は冒頭で脱線するかもしれないけど、キングダムの登場人物の、びえいさんが、しんのことが好きすぎて、感情を爆発しちゃうシーンにも
自分の感情とオーバーラップした。
キングダムを、まったく知らない人はスルーして。w
でも。
自分の大好きな人が本来の力を発揮できない状況には悔しさを感じる次第だけど、
実は、自分自身が本来の力を発揮できてない、ってことにも気づいた。
(※相手を通して、自分の認識に出会えるんだねー、これって!)
とにかく、ノ・ジェスが大好きだ。
好きな理由はたくさんあるけど、これを言っちゃうと問題になるかも?と
ちょっとビクビク、おどおど、ざわざわ、をしちゃうところだけど、
イエスが言ったことを現実的なコミュニケーション、あり方で、出会えるところが好きだ。
たとえば、イエスの言った言葉で好きなフレーズがあるが、これ
↓
あなたがたが自分を愛する者を愛したからとて、なんの報いがあろうか。
これは、ふつーは、愛している人、好きな人同志が、相互交流するのは当たり前だけど、
嫌いな人、殺したいほど憎むべき人、とくかく、忌み嫌う人を、愛するってメッセージになると思う。
これが出来る人だ。
つまりは、どんな条件、状況でも愛を与え、愛を貰える器がある人
その象徴的なものが、彼が発信している日本文明のアモールファティというメッセージに内在されているが、
アメリカが原爆を落としたこと「すらも」日本は恨んでない、いや、恨んでないどころか、
そのアメリカ人を愛しちゃっている!のが、日本は凄い!という日本文明に対する解析をしている。
日本文明のアモール・ファティの涙 | Noh Jesu(ノ・ジェス, 盧在洙)オフィシャルWEBサイト (noh-jesu.com)
と、言うことは?
実は、その解析ができるあり方というのは、内側にイメージがないと、出来ない。
とどのつまりは、ノ・ジェスが人間が使っちゃいけない原爆をも落とした人類すらも、100%許している大前提の在り方がある。
もちろん、人間的な観点からは、原爆は酷いことをしたので、NO!を突き付けているが、本来の自分そのものからだと、すべては許し、すべては愛から始まっている。
ここは勘違いされやすいポイントなので、分けて考える必要があるが、それについては、また別の機会で話したいと思う。
話を元に戻して。
最近、フランスの格言というか、ことわざなのかな、いい言葉を聞いた。
それは、
「すべてを知ることは、すべてを許すこと」
というもの
全てを許すは、もちろん、どんな酷いことをしても、残虐、残忍なことをしても、結果的には許す、ということ。
これは、とーてーい、人間技では出来ない。
だから、技術が必要になる。
その悟りの技術というのが、【すべてを知る】ことに要約されるけど、
そのすべてを知るイメージが、ちょっと禅問答みたいになって、勘違いの
イメージを持っちゃう傾向にあるとは思うけど。
「全てを知る」ことは、ソクラテスの「無知の知」と一緒になるけど、
全てを知り尽くして、最後に、あぁ、人間は何も知ることができない、無知なんだね、ということを
知る、ことが、「すべてを知る」
そのイメージになる。
伝わったかな。。。(汗
ソクラテスが生きた時代には、それを聞いた人は、なんのこっちゃ、さっぱり意味が分からないと思うけど、
現代は、脳科学、量子力学、などにより、人間がみている世界は部分でしかないとか、
最先端の素粒子物理学では、「存在はない」などと言っているので、イメージしやすくなっている、とは思う。
人間である自分たちは、知っていることは1つもない、ということが。
それを、ノ・ジェスは、約30年前から、日本社会で、言い続けているし、
日本人にバカにされ、批判もされ続けても、
一貫性をもって伝え続けてくれている。
なので、
全てを知る(悟りのイメージ)ことで、すべてを許せる。
そのイメージを、その認識をもった人間たちを増やすことで、
愛溢れる社会、世界を創れる。
そのvisionが、凄い好きだ!
自分は、全人生をかけて、宗教10年やり続けたけど(職員になって、宗教で食っていたので、宗教が職業だった)
人間は神の奴隷じゃない!という叫びが生まれてしまって、宗教を辞めて、
その後は、悟りを追究してきて、
最後の砦、リーサルウェポン的な、インドの悟りにも出会い、1ヶ月、そこで瞑想をし、悟りを開いたけど、
そのインドの悟りにも、受け身という限界を感じ、生きる意味価値がなく、生きているのに疲れた時に、
ノ・ジェスに出会った。
そこで出会った悟りの世界は、主体性がある。
躍動感にあふれている、人間くさい!
それが、サムライの悟りでもあり、日本人が昔から感覚的にはもっていた、
わびざびの文化と繋がった、
真理を、ノ・ジェスは教育体系化してくれた。
その教育体系化してくれた、人類の愛のプレゼント。
そんなプレゼントをしてくれる、ノ・ジェスが大好きだ。
なので、今日は、尊厳ロマリアプロジェクト|Noh・Jesu(ノジェス) (noh-jesu.com)
に、参加するので、ノ・ジェスにハグして、写真を一緒に撮ろうと思うー。
ちょっと恥ずかしいけど。。。