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人間が通常「みる」世界は真実か、錯覚か?

人間がふつーに見ている、この世界。

この世界は、赤、青、黄色、植物、動物、赤い太陽、青い空、白人、黒人、黄色人種と。

様々な色、形、模様、姿をしている。

これが真実なのか?それとも、幻想、錯覚なのか?というテーマで今日は、話せたらな、と。

アキレスの亀

アキレスの亀の話しは知ってる?

まぁ、アキレスは足が速い人間ですが、トロトロ、遅い亀を追い越そうとする話し。

目の前の亀をアキレスが追い越すのは、秒速のような気がするけど、
そうじゃない。

そうじゃない?って、どーゆーこと?

矛盾、パラドックス

アキレスが亀を追い越そうとしても、追い越せない。

それが計算式からすると、そうなんだと豪語し、それが人類の課題と言わんばかりに、今、現在も難題として残ったままになっている。

アンビリーバボー的なその矛盾は、いまだに天才?と言われるような学者たちの間では、その矛盾が解決されてない難題になっている。

なんだい?それは><

それは、詳しく語るのがちょっと面倒なので、詳しく知りたい方は、こちらから
アキレスは亀に追いつけない? 「円周率の日」に考える無限とパラドックス(THE PAGE) - Yahoo!ニュース

自分流に簡単明瞭にアキレスと亀の話しをすると、

アキレスと亀の間に、たくさんの中間点を作るので、それが無限にあるので、無限だから、亀に到達しない、と思い込む。

そんなパラドックス、矛盾。

100Mの距離があると、1M、2M、3Mという、3つのポイントを通過することも設定できるし、

0.1M、0.2M、0.3M、0.4M、0.5M、0.6M、0.7M、0.8M、0.9M、1M、と
10つのポイントを通過することもできるし、

そんなことを考えていたら、通過するポイントが「無限」になるので、

次ここ通過した、次はここ、次はここ、次、次、次・・・・

まだ亀に到達できないの?通過点がいっぱい(無限)にあるから、まだ到達できないのかぁ、ふう。(溜息)

それは、まるでフルマラソンで、給水所が100か所あり、いや無限にあり、給水所にある水をなぜか飲まないといけないルールがあり、

水ばっかり飲んでいて、永遠にゴールにたどり着かない。

そんな感じ。

つまりは、アキレスと亀の矛盾点とは、「中間地点が無限に存在する」が罠になり、

アキレスのスピードと、亀のスピード「だけ」を着目すると、アキレスを亀を追い越せる。

超シンプルで、アキレスの方が早いから、トロトロの亀を追い越せるよね?ということ。

矛盾的な定義を持ち込むから、混乱しやすいけど。

どこに基準点を置くのかで、どこから観るのか、で、全然、世界が変わってしまう。

アキレスと亀のパラドックは、場所、位置、という空間という距離を割り切れないよね?ということでもある。

空間、場所、位置、というのは、そもそも存在できず。

つまりは特定の場所を指し示す点というのが、存在できないじゃん?という投げかけ、と一緒。

点の定義が、位置だけを指し示す、ここ!っていう「だけ」なんだけど、それが現実的には不可能。

その問題点を、突っついているのが、アキレスと亀の話し、になる。

話を、どっこいしょ、と元に戻して、

黒ぽちの点は、ミクロのちっちゃい世界をみれる顕微鏡でみると、円になっちゃう。

そうなると、点がないことになる。

点が存在すると思っていたけど、それが円になっちゃったし、円はデカいから、場所を特定できなくもなる。

それは、まるで、ラベンダー畑に観光で友達と

北海道のある場所(点)で、待ち合わせしているのに、
北海道(円)で待ち合わせね♪というザックリ感、満載で、友達と一生会えない。出会えない!

そんな感じ。

ラベンダー畑には永遠に到達できない、というのと、アキレスが亀に永遠に追いつけない、と一緒の話し、になる。
(※内容で捉えると理解するのが難しいけど、構造でみると、一緒のことを言っている)

人間の脳のフィルターを通した世界観とは?

ゼノンの矛盾の提案。

その、アキレスと亀のパラドック。

それと、存在は存在しない、が言葉は違えども、実は構造でみると一緒。

それは人間の脳が点と言う固定の錯覚を生み出している、と繋がっているけど、、、、、

それを説明し、このnoteを見ている人が「なるほどね~」とスッキリするのは、別もので、結構、難しいなぁ、と感じてはいるが

頑張って説明してみる。

まずは、人間の脳のフィルターを通した世界は全てを認識していると無意識深くから思っているけど、そうじゃない。

人間は自分たちが、最高の存在で、霊長類最高、最強の地球上に君臨している覇者、覇王である、と。

そんな傲慢な態度も助長して、自分たちがみている世界は完璧で完全だ!と思い込んでいる。

思い込んじゃっているが、実は、宇宙、世界、いや、もう目の前の現実画面も、
部分の部分の部分の部分の・・・・、永遠に部分の、ちっちゃい、ちっちゃい、世界しか認識することができない。

「群盲象を撫でる」「木を見て、森をみず」などなど、視野が狭いね~という人間に投げかける、気づかせる比喩表現があるけど、

それが今、この瞬間に起きていることを自覚出来ている人は少ないと思う。

さっきの点の話しになるけど、点は本当は存在せず、点という固定した黒いまるぽちは、人間の脳が創り出した錯覚にしかすぎない。

だって点の定義が、位置だけを示すはずなのに、小さい世界をみれる顕微鏡でみたら
「円」というデカい面積がある状況になってしまうので、位置が示せない。

そんな矛盾から点は存在できないことが証明できると思う。

現実に点は存在できないんだから。

点が存在しないということは、点点点点と、点がたくさん集まり、線になるけど、その線が面になり、面が立体になる。

ので、立体という「存在がある」と言う状態は、人間が創り出した錯覚にすぎない。

人間がみている人間の世界であって、他の存在からみたら、人間がみている世界は存在しない。

だって、点は人間の妄想、人間の脳の中に創られているモノだし。

さらに言うと、人間の完璧主義を破壊するために伝えておくと、

太陽がオレンジという色が当たり前だけど、紫外線のフィルターで見ると、青かったり、する。

じゃぁ、青い太陽と、オレンジの太陽は、どっちが正しいの?

うーん、どっちも、正しくないなぁ、どのフィルター、どの媒体を通すのか「だけ」だね。

ってなる。

さらに、さらに、さらに。

細かいミクロな観点では、素粒子レベルでは、存在はガチっと固定しておらず、動いちゃっている。

ぴゅん、ぴゅん、ぴゅん、ぴゅん、と。

人間の脳を通過した世界は、固定した黒ぽっちの点、で見ちゃうから、ぴゅん、ぴゅん、激しく動く素粒子は、

それこそ、SF的な、幻想的な、摩訶不思議な、妄想、錯覚の世界と認識するが、
あなたが、見ている世界も、錯覚だよ、と問いかけたい。

けど、人間は、脳のフィルターを通した、固定した点という黒ぽっち、は、絶対に正しい世界だ、と誤認してしまう。

人間は380~780ナノメートルの可視光線の光の反射しかみれないから、その範囲以外、つまりさっき言った紫外線は、その範囲じゃないから

人間の常識、当たり前の世界である

オレンジの太陽は存在しない。

太陽が青くなったり、オレンジ色になったり。または、丸い太陽という固定じゃなく、ぴゅん、ぴゅん、ぴゅん、と動いちゃっている状態にもなる。

一体何が正しいのか?間違っているのか?

え?

正しさって、なかったんだね、と気づくのが大事だと思う。

人間の矛盾点、パラドックの盲点は?

今日の文章は、思いつきで書いているので、ちょっと支離滅裂的っぽくなってしまっているけど、

人間の矛盾点、パラドックは、実は、人間の機能として、脳がポンコツ野郎で、全体がみれず、不完全すぎるシロモノだったんだ、と。

スペックで言うならば、いまだに、電話線をひっぱって、パソコンにつなぎ
画像を見るのに、

ダウンロードするのに、カク、カク、カクっ、と20分近くかかるような古いタイプのPCのようなモノ。

そんな使えないポンコツすぎるスペックの脳が完全体である!と
プライドを持って、地球上に権威を振りかざしている。

そんなポンコツ的な脳のスペックの低い脳のフィルターを通して
世界をみているし、世界も分からないのに、人類は、ずっと世界平和を訴えてるんだな、と思った。

まずは人間を知る必要がある。

人間は不完全。

大事なので、もう一回言うけど、人間は不完全。

重要なので、3回目を言うけど、

人間は不完全。

その不完全な人間が、真理を知ったかぶりをするんじゃない。

真理を人間は感じることも、イメージすることも、認識することも、
できない。

できるわけがない。

徹底的に、いい意味で、人間を諦めないと。

(※人間は真理をイメージできないので、新しい技術、新しい言語が必要のため、それが日本で教育体系化されているので、次回は、そのことを語ってみようと思う)

まとめ

いつも、思いつき、直感で文字を書いているで、いったん、まとめないと、たぶん、収拾がつかないので、まとめに入ってみる。

人間がふつーに見ている、この世界。

この世界は、赤、青、黄色、植物、動物、赤い太陽、青い空、白人、黒人、黄色人種と。

様々な色、形、模様、姿をしている。

これは幻想、錯覚です。

以上。












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