カリフォルニアの人間を食べても良いのか?

先日、このようなニュースがあった。

えーと、このページを要約すると
- タコの世界的に漁獲量が減少、養殖を求める声があがる
- そこで一部国家(日本やスペインなど)によって養殖技術が開発されている
- しかし、カリフォルニア州議会でタコの養殖が禁止となる法律が可決された
- その理由はタコが賢い動物であること、肉食であり環境への負荷が大きいこと
- まだ産業が育っていないので、今なら禁止にできる
が挙げられている。

一言で言えば、「タコは賢いので、食べてはいけない」である。

じゃあ、こんな素晴らしき傑作を生み出した素晴らしきカリフォルニアの人々は、賢くないので、食べて良いのだろうか?

結論

食べたくない。美味しくなさそう。着色料と人工甘味料と油分の味しかしなさそうだもん。

…というのはさておき、この「賢いから養殖/食べることはいけない」というのは、差別と優越感に満ちたもので、極めて自己中心的であり、ダブルスタンダードそのものであることを私は主張する。

論理学的な反論はやめてね。

理系的?論理学的?よくわからないけれど、そういう視点で考えたらこのタイトルは全く意味のない、アホでしかないものである。
命題「賢いならば、その動物を養殖したり食べたりしてはいけない」であり、「賢くないなら食べてもok!」ってのは高校数学(数1)で学習するように、元の命題に対する「裏」である。これは元の命題と一致しないため、意味がないとか思う博識な方々もいらっしゃると思いますが、話の主題はそこではないです。勉強熱心ならそこも読み取れますよね?

賢いから、は理由にならない

先ほどの命題的な考えを用いて、対偶を考えてみよう。
「食べれる動物は、賢くないバカ動物である」
さて、これは元々の命題と一致する。

食べるということは命をいただくことである。まずここは日本人には人によって差こそあれど、一定の理解は示していただけると思う。
食べている動物にアホだから、とはなんとも不敬なことか。

それもなんとも主観的であること。豚は賢くないの?牛は賢くないの?鶏は賢くないの?
これは人間が食べている動物に対する極めて不愉快な侮辱である。なんと身勝手な思考であるか。

あまり歴史にこじつけるのも好きではないが、賢くない人間に我々が文明を教える、と言った大義名分のもと、タイピングをするのも悍ましい横暴の数々を人類は過去に行なってきている。そのようなことを考えてしまうのは、自分が彼らに対する偏見を持ち合わせているからだろうか。ここに対する意見は受け付ける。

また、もう一つの気に食わない点としては「私たちは何て思いやりのある人たちなの!見習ってください!」、このように言っているように思える点である。これで私たちは先進的である!なんて言っているのである。なんとも滑稽な姿であろうか。

納得できる理由もあるよ

一概にこのニュースに全面反対というわけではない。
「環境への負荷が大きく、まだ産業が発展していないうちに禁止する」という理由には一定の理解を示したいと思う。
産業が発展していないうちに、というのは少々荒々しいやり方であり、なんだか気に食わない部分もあるが…
定量化できる判断基準であり、そこが主観的ではないこと
が最も大きな部分であると思う。
一匹あたり、もしくは1kcalあたりの飼育エネルギー、消費する水や食物の量、排出する物質の量、このような数値に基づくものは、まぁ、納得に近いものがある。(もちろんその基準の作り方は大事だけどね!そこも主観と言われたらそうなんだけど!)そういった定義に従うのは偽善とは異なるものであると思う。

終わりに

さて、皆さんはこのニュースに対してどのように思うだろうか。
逆にお前が差別的だ!という意見も受け付けるし、執筆中にそのような自問自答は自然と発生した。
それでも、私はこのニュースで述べられている発言、法律に対しての憤りを抑えることは出来ず、このような意見を述べるに至った。非常に痛々しく、恥ずかしい文章であることは重々承知である。

ちょっと理由付けをうまく説明できていないと思う。拙い文章であるが、もしも読んでくれた方がいたら嬉しく思う。自身の文章を磨くことにより、私の思うところを多くの人間に共有することができたら。そう思っている。

追加の参考サイト

https://arcj.org/issues/fish/octopus-aquaculture-ban/

https://news.yahoo.co.jp/articles/bb5eefab50ea002eeddef1d82fd449302fd6a187

 



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