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「役に立ちたい」と思うのをやめた
「誰かの役に立ちたい」「世の中の役に立ちたい」
そう思うのをやめようと思いました。
私はずーっと何者かになることに憧れていました。
誰かに「私は〇〇です」と堂々と言える、何者かになりたかったのです。
大学を出て就職もせずに、好きなことをして生き抜いた 20代と30代の中盤までは、自分が社会の役立たずだなんて思っていませんでした。
それが若さというものだと思います。
自分の人生には、ちゃんとした未来があると思う、おごりですよね。
でも、30代後半でそれまでやっていた役者の世界から抜けた時、途端に自分の前に道がなくなった感じがして、怖くなったのです。
「私には何にもない」
そう思わずにいられませんでした。
当然、同級生たちは社会人として、母親として立派な役割を担っている人ばかりです。
大学の友人には、役職がついて部下がいる友人もいるし、子供を3人も産んで育てている友人もいて、彼女たちが社会に貢献していることを思うと、自分は何なんだ?と卑下するしかなかったのです。
まぁ、当然のごとく病みますよね(笑)
ただ、唯一救いだったのが、とにかく私は丈夫で健康だったこと。
これは親に感謝しかありません。
この丈夫な身体があるからド根性で乗り越えられたり、何より何があっても笑い飛ばしてくれるパートナーがいたから、なんとか生きてこれた気がします。
役者時代の借金も返済し、40代になってすったもんだしながら勉強をして、今があります。
おかげで自分を掘り下げることにはすっかり慣れてしまい、そんじょそこらの自己啓発のセオリーは頭に入っている、若干キモい40代後半になりました。
自己啓発も、スピリチュアルも私の心を慰め、前を向けるように導いてくれたので、これまた感謝しかありません。
でも、私はどうしても誰かの信者にはなれなかったので、生意気にも自分の心は自分で認めてきました。
あっちへぶつかり、こっちへぶつかりして、やっと最近わかったのは、
私のように頑固で人の顔色が気になる人間が、「役に立ちたい」と思うと、人のためではなく、自分のためになってしまうんだな、ということ。
つまり、「役に立ちたい」と思った時点でエゴなのかもしれないと思ったのです。
そうしたら、スッと楽になりました(笑)
根っこは楽観的なもので。
ちまたに溢れているお役立ち情報をインプットするのは、とっても楽しいけど、どの情報も100%で受け取るのではなく、100%でもらったものを、自分の中で咀嚼して、自分の色に染めてしまうくらいがちょうどイイと思ったのです。
生意気いってますが、たくさんの情報をくださる皆様、本当にありがとうございます。
いつも助かっています。
とはいえ、私の人生の主役は私しかいないので、私なりに味付けをさせていただこうと思います。
ただ、みなさんから頂いた情報は決して無駄にはしませんから、これからもよろしくお願いします😊