仕事=お金稼ぎと考えると見えなくなること
今年23歳になった僕の周りは、
就活生か社会人1年目の方ばかりです。
それで、仕事の話になることも多い。
その際によく気になるのが、どうも
どんな仕事がしたいか=どう稼ぐか
として話が進むのが多いことです。
「それじゃ稼いでいけないよ」とか、
「給料高い仕事につけてすごいね」などなど。
それがいつも引っかかる。
なぜかといえば、僕の中では、「稼ぐこと」と「仕事」は別枠で考えることだからです。
<スポーツ=ダイエットか?>
個人的には「仕事とは、お金儲けのことだ」
という主張が的を射ているようには思えません。
どれくらい違和感があるか示すために、同じ構造の主張をしてみるなら、
「スポーツとはダイエットのための手段である」とかになるでしょうか。
そりゃ、何かスポーツをすれば痩せるかもしれません。
が、痩せないスポーツなんて意味がないかと言えば、そんなはずはないわけです。より痩せる運動をしている人がカッコいいか?
そんなこともない。
スポーツなんて、自分に合うものを
自分に合う頻度でやればいいだけです。
もし体型が気になって痩せたければ、
それとは別で走ったり食事制限したりすればいい。
同じように、稼げない仕事なんて
意味がないかと言えば、そんなはずはない。
より稼げる仕事をしている人が正しいかとか
カッコいいかと言われるとそんなこともない。
「お金を稼ぐ」は、スポーツに対する「痩せる」みたいなもんで、別軸で考えればいいと思うのです。
<お金は目的たり得ない>
痩せれば痩せるほどかわいい。
と考え不健康なまでにガリガリになるのがよくないように、「お金なんていくらでもあった方がいい」と考え稼ぐことに邁進するのもよくないことだと僕は思っています。
でも実際、お金なんてあるに越したことはない。
というか、お金がないと何もできないじゃないか。
そう思うかもしれません。
しかし、どう考えても順番が逆です。
したいこと(なんでもできる、とかじゃなく特定のこれがしたい)があって、そのためにお金が必要なのです。
お金はやりたいことをやるために集めるものであって、それ自体は目的にならない。
いや、自分はやりたいことがないから、とりあえず見つかったときのためにたくさん稼ぐんだ。
そういう方針もあるかもしれませんが、僕はそれにも懐疑的です。
理由は単純。
目的がぼんやりしたままお金を稼ごうとすると、稼ぐこと自体の快感に負け、お金が目的になっていくからです。
稼ぐというのは、数値として明確な目標を掲げやすく、直接的で即時的な結果が見えやすいので、ゲームのようにハマりやすいのです。
しかし、ハマると際限がない。
いつまで経っても満足がやってこない。
<絶対量ではなく変化が快感>
お金を目的にするのが賢明でないのは、ノーベル賞を受賞した行動経済学者のダニエル・カーネマンが提唱した「我々の満足感は資産の量ではなく、資産の変化にある」という話からも説明できます。
人にはこれだけ稼いだら満足というラインがあるのではなく、資産が「増える」という現象自体に快感を、「減る」のに不快を覚える特性がある。
つまり、9000億円も資産があれば大満足できそうですが、去年は1兆円あったとしたらとても不快になる、というわけです。
なんとバカバカしい。
ですから、「お金なんていくらでもあればいい。あればあるほど自由だ!とにかくお金持ちになりたい!」と思う人には、ぜひとも立ち止まっていただきたい!
これさえ手に入れば幸せ、みたいなのはたいがい幻想です。
岡田斗司夫さんが「コレクションからセレクションへ」という話をしていましたが、本当にリッチなのはなんでも持っていることはなく、見る眼を養い厳選したものを持っていることなのです。
彼に言わせると、ただたくさん集めている人は、「欲しいものを持っている」のではなく、「他人が売りたいものを欲しいと思わされているカモ」に過ぎない。
<野口英世の金づかい>
ちょこっと脱線しましたが、話を戻しましょう。
稼ぐのと仕事は別、お金はしたいことがあってそのために集めるものという話でした。
ではみなさん!
本当にしたいことってはっきりしてますか?
ほしいものなんて、したいことをはっきりさせてから手に入れることを考えたって遅くはありません。
お金から先にあったって、ろくな使い方をしないのが人間です。
テキトーに財布に1万8千円を入れて歩いていたら、大してほしくもないのにコンビスイーツを買ってしまいますよね?(僕だけ?)
あの野口英世だって、学生時代は、恩師から学資としていただいた大金を2ヶ月でギャンブルやら女遊びやらに捧げ使い果たしています。
彼はのちに黄熱病の研究をし、自身もそれで亡くなりますが、この時のお金と失った時間があれば結果が変わっていたんでは・・・。
お金って、若いうちは特に稼ぐのに時間がかかりますし、使うのにだって時間がかかります。
その若い時の時間は、まちがいなく年をとってから手にするお金の何百倍も価値ある資産です。
そんなものを「他人に欲しいと思わされたもの」を買うのに使っていてはもったいない!
<お金を払ってでもしたい誰かの役に立つこと>
いろんな方向から、「仕事=お金儲けではない」を主張してきましたが、締めに入ります。
一番重要な、じゃあ仕事をどう捉えたらいいのかをまだ話していませんでしたよね。
結論。
仕事とは、お金を払ってでもしたい誰かの役に立つことです。
お金を稼ぐなということではありません。
お金を払ってでもしたいくらいのことなら、喜んでいくらでもやれる→それくらい突き抜けてやれるから、誰かの役に立つものにまで成長させられる→そしたら人に求められ、お金もいただける。
ということです。
最初は、この仕事の定義に違和感があるかもしれません。バカバカしい感じたり。
しかし、よく考えてみてください。
誰の役に立っている実感もなく、好きでもなく、誰でもできそうなことをしているのに、なぜか十分なお金をもらえてしまうような仕事、したいですか?
これは、少し前に世界的に話題になったブルシット・ジョブ(クソどうでもいい仕事)の定義ですが、これではお金はもらえても働く本人すら幸せになれません。
なので、ぜひ仕事=お金を払ってでもしたい誰かの役に立つことという方向性で考えてみてください。