金木犀が「父親」を自覚した妻のひとこと
最近、いくつか老後をテーマにした記事を書いてきました。
その中で、男の役割とはなにかという話題があり、子育て期における父親の役割について感じたことを書きたいと思います。
私は、約1年前に第1子の長女が生まれた時のことを書いた記事を公開しています。紹介は3回目になるので、ご存じの方はまたかと思われるかもしれません。
男性は、女性の一大事である出産を見守るくらいしかできません。また、生まれてきた赤ちゃんを我が子と認識するまで、私は少し時間がかかったように思います。この記事では、初めて長女を見たときの想いを「とまどい」と書きました。
この記事の少し後に、su mi koさんが、女性の立場から壮絶で臨場感あふれる出産体験記を発表されました。
出産する当事者の母親とそれを見守る父親の違いは、なんと大きいことでしょうか。まざまざと見せつけられました。この作品に感動されて覚えている方は多数いらっしゃると思います。
出産の痛みというのは、想像するしかありませんが、他の方の出産体験記を読んでも、文字通り「想像を絶する」痛みを越えた痛みかもしれません。今は、無痛分娩もあります。それでも母となる人は、大きな不安を乗り越えて出産することに違いはありません。そう思うと、陳腐な表現ですが「母は偉大」というのが実感です。
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第1子の誕生から10年くらい後の話になります。
長女の誕生から、次女と長男の計3人の子供を授かり、長女と次女が小学4年生と2年生、長男が幼稚園の年でした。
その年の夏に、妻から子供3人をつれて愛宕山に登るといわれました。
京都の愛宕山は、京都市右京区の北西部にあります。標高は924mで、山頂には、約900社を数える愛宕神社の総本宮が鎮座します。火伏せの神様として有名で、3歳までにお参りすると一生火事に遭わないといわれています。
ふもとの清滝から、健脚の人で山頂まで約2時間かかります。私も登ったことがありますが、けっこうきつい傾斜もあります。山道は、整備されていますが、やはり母と子供で登って遭難する事故が起こったこともありました。
今、考えると妻も若かったのか、よく幼子3人を連れていく気になったと思います。私は仕事があったのか、行きませんでした。
登山は無事に終わり、帰りに迎えに来てほしいといわれ、車で行きました。
車に妻と子供を乗せて走り出したときに、妻がしみじみといいました。
「あーほっとした」
やはり、妻と幼子3人だけの時は、自分が子供を守らなければいけないと、気が張っていたそうです。それが、父親である私が運転する車に乗って、その重圧から解放されて出た言葉でした。
私はそれを聞いて、「あーそうか」と思いました。
子育ては、父親と母親の共同作業ですが、父親の持つ役目として、家族に安心を与えることが大切であると気づかされました。経済的にも精神的にも子供が安心して成長できる環境を作ること、それがあれば子供は自然に育ってくれるのではないか。そんなことに気づきました。
今、思うと、このエピソードは、私が父親であることを自覚した、「第2の父親になった日」といえるのではないか。
そんなことを感じた妻のひとことでした。
*このnoteは【共同マガジン】これが私のイチオシnoteだ!寄稿作品です。
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