パレスチナ写真集
(1990年夏)
エルサレム旧市街
イエス・キリストが今の時代に生きたとして、現在の民族の分類にあてはめるならば、パレスチナ人ってことになるんだろうな。
彼はキリスト教徒じゃない。彼が磔にされた(たぶん死んだんだろな。復活したのかどうかは知らんが)後にキリスト教が始まったんだから、彼がキリスト教徒であったはずがない。彼は旧約聖書を手にしていたんだから、それが彼がユダヤ教徒であった動かぬ証拠さ。
そして彼が活動していたのはエルサレム周辺。第二次世界大戦以前にその辺りに住んでいた人はパレスチナ人と呼ばれている。彼は今でいうアラブ系の人だったんだろうな。そして今のアラビア語に近い言葉をしゃべっていたはずだよ。つまり彼は今の分類でいえば、パレスチナ人ということになるね。
嘆きの壁
ユダヤ教の聖地、嘆きの壁(ただの壁と言えば、そうとも言える)。ユダヤ人(ユダヤ教徒)たちはずっと昔からこうやってお祈りしてたんだろうな。
ところで、壁の前にこんなに大きな広場があるのはそんなに昔からじゃない。イスラエル建国前はここには家が建て込んでいた。細い路地の側面が嘆きの壁だった。イスラエルがパレスチナ人を追い出して、家を壊してブルドーザーで整地して、こんなにきれいな広場になった。
この広場は、パレスチナ人から見れば、嘆きの広場でもある。
岩のドーム
それにしても、宗教戦争って、仕掛けるのはいつもヨーロッパ人なんじゃないかな。
もともとエルサレムに住んでる人はみんなアラブ人で、言葉も一緒、文化も一緒、顔つきも一緒、ただ宗教が違うだけで、みんな互いに尊重し合って、仲良く暮らしていたのさ。そこにヨーロッパ人がちょっかいを出すの。
もともとそこに住んでるキリスト教徒やユダヤ教徒はそんなこと思いつきもしないさ。その発想は、植民地や奴隷を作るのと同じ発想で、ヨーロッパ人特有の発想なんだろうと思うよ。
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