中国旅行の特殊事情
中国では古いものが残る一方で、新しいものがどんどん生まれている。そんな中国を旅すると、日本での生活するのとは何かと違う面にしばしば出くわします。
それを経験することもまた、中国旅行の楽しみであり、僕にとっては旅の目的でもあります。
中国政府が築く現代の万里の長城
中国では Google も Facebook も Yahoo! Blog も使えない。先日中国に行って初めて知った。(2015夏)
Yahoo! はそこそこ使える。Yahoo! で検索することはできるし、Yahoo! mail の送受信もできる。でも、Yahoo! Blog は使えない。Google はまったく使えない。Gmail も GoogleMap もダメだから、GoogleMap を組み込んでいるサイトではしばしば動きがおかしくなる。
そこで中国滞在中に Yahoo! で「中国 facebook 使えない」という文字列で検索をかけてみた。そしてわかったことは、先に挙げたもの以外に Twitter も YouTube も使えないということだ。要するに、個人同士の情報交換はできるが、不特定多数に情報を届けられるようなシステムは中国政府が遮断しているらしい。
私は Yahoo! Blog と Facebook を毎日のように使っている。それが使えないのは痛い。実に不便だ。
Yahoo! で検索して次にわかったことは、その規制をかいくぐるべくあの手・この手を繰り出している人がたくさんいて、その穴を中国政府がせっせと埋めようとしているということだ。こうしてイタチごっこをしている様子が見えてくる。
中国は古来から外敵の侵入を防ぐために長大な壁を築いてきた。ご存知、万里の長城である。そこまでやるか?と思うくらいに徹底してやるのだけれども、やっぱりあっちこっちにほころびがあって、結局は外敵の侵入を許してしまう。この事情は、中国三千年の昔から現代に至るまで変わらない、そういうことなのかもしれない。
ここで1つ思い出した。その半月ほど前に私が 東ティモール のディリ空港で缶詰にされたときのことを。あのときは facebook だけが使えて他が使えなかった。検索も mail もできなかった。中国での状況とは逆のような状況だった。そこで私は facebook 上でその状況を説明して「今の私に使える情報を facebook のこのページのコメント欄に書き込んでくれ」と 投稿 した。そうしたら、気の利く人がコメントをくれたのである。なんでも試してみる価値はあるものだと、そのとき思った次第である。
さて、私が中国にいて facebook にアクセスできないことを facebook に投稿したかったのだけれど、そんなことができるはずもない。そういえば、mail はできる。そういえば、ディリ空港で助けてくれた人のメルアドを私は知っている。そこで、もう一度試してみようかという気になってきた。
うまくいくかどうかはわからない。そしてうまくいったとしても、その結果を中国滞在中の私は見ることができない。それでも、普段私の facebook を見てくれている人たちに伝わるなら、それはそれで面白い。試してみる価値はある。
結果、首尾よく やってくれた 。
中国の両替事情
中国で一般的なクレジットカードは銀聯カード=Union Payである。これは中国独自のクレジットカードで、他の国ではあまり使えないが、中国では最有力である。一方、世界的に通用する Visa や Master は、都会ではいくらか使えるが、地方に行くとほとんど使えない。(2015秋)
田舎に行ってもATMがあって Visa でも Master でも JCB でも中国元が引き出せるかのように書いてあるが、実際には銀聯カードでしか下せない場合が多い。8月に行った九寨溝でもダメだった。9月に行った稲城では Visa で下せるATMがあった。銀行で日本円を両替しようとすると、九寨溝ではできた。稲城ではできなかった。
中国の観光地の物価は高い。九寨溝風景区・黄龍風景区・亜丁風景区のどこに入るのにも入場料と乗り物代(これ、必須!)で300元(≒6000円)ほどはする。だから発展途上国を旅する気分でいると、あれよあれよという間にお金が消えていく。それをケチったら何のためにそこまで行ったのか意味がなくなるし、だからあらかじめ中国元を余裕をもって手にしておかないと、途中で苦労することになる。僕は8月のときも9月のときもそれで苦労した。
だからといって、それほどしょっちゅう中国に行くのでなければ、銀聯カードを作るほどでもないだろう。作るのに手数料もかかるし、Visa・Master・JCB よりは通用度が高いが片田舎では銀聯カードも使えないことが多い。
では現実問題、どうすればいいか。中国の田舎に出かけるなら、中国人が日本で爆買いするように、僕たち日本人も中国で爆買いするくらいの勢いで中国元を多すぎるくらいに手にしてから出かけた方がよさそうだ。
一村リゾートの仕組み(杭州)
いま中国の杭州にいる。最近やけに中国づいているわけだが、今回は妻に誘われて、先に来ていた妻を追いかけて、今日杭州で合流したというわけだ。僕は5∕2も5∕6も仕事があって、3・4・5の3日しか休みが取れない。それでこういうことに相成った。(2017年GW)
ここは一島リゾートならぬ、一村リゾート Aman Fayun 。杭州郊外のいくつかのお寺が建ち並ぶ一角にあって、村の中に茶畑が広がっている。その村を丸ごとリゾートにしたものである。
ここの仕組みがなんとなく見えてきた。
ホテル特にホテル・チェーンは、オーナーが別にいて、ホテル・チェーンに運営を委託している形が多い。そのホテルはホテル・チェーンの Aman Resort が運営しているから Aman Fayun を名乗っているわけだが、オーナーは別にいて、この場合のオーナーが誰かというと、中国政府もしくは杭州市などの地方自治体。すなわち杭州の一角を観光開発するにあたって、行政が寺社を整備し、村の景観を保ちつつ改造して、ホテル運営を Aman Resort に委託した。きっとそういうことなんだろうと思う。
そうだとすると、中国ならではのやり方だと言えそうだ。中国らしい、あるいは中国だからできることだと言えるかもしれない。村人を強制的に立ち退かせることも中国ならありそうなことだ。
ところでこのホテルの宿泊料金はというと、1泊のルーム・チャージが最低で6000元ほど。日本円に換算すると、16倍してざっと1泊10万円となる。これが最低ラインだ。上はさらに跳ね上がる。庶民には縁がない価格帯である。
それはそうと、村を維持するのはとても人手がかかるだろう。つまりはお金がかかるはずだ。なにしろ部屋数の割に、土地が広い。草木のみならず、茶畑や小川も手入れしなければならず、山の中だから虫や他の動物対策もしなければならない。しかも寺社が建ち並ぶ観光地の中にあるので、宿泊客以外の参拝者・観光客も村の中を行き来する。そういう人たちが客室の方に立ち入らないように、何人もの授業員を配置している。このように、このホテルでは他のホテルには無い、この環境ならではの費用がたくさんかかっているはずなのだ。そう考えると、ホテル代が高いことを考慮しても、僕がみたところ、採算が取れそうに無いのである。
僕はこの話を、現地で従業員から聞いた話やテレビで見た話、想像したこと・考えたことなどをいっしょくたにして書いている。その点を承知いただいて、さて続けよう。
ホテルの宿泊代だけではとても賄えないような費用を、さてどうやって運営しているのか。2つの点を考えた。一つは寺の拝観料、もう一つは税金である。その場所はお寺・観光地だから、たくさんの参拝客・観光客がやってくる。拝観料(もしくは入場料)は40元。日本円にして700円ほどである。そのお金を辺り一帯の整備費用に当てても良いわけである。またそこを公共の施設、言うなれば公園みたいなところだと考えれば、税金を投入しても良いわけである。日本の国立公園のようなところだって多額の整備費用と人件費を税金で賄っているんだろうから、杭州のその場所に政府や自治体のお金を投入してもおかしい話ではない。
そう考えると、実はとても合理的なやり方だとも言える。日本ではありえないやり方だろう。日本では拝観料はすべて寺の取り分で、宗教団体だから非課税で、行政の取り分は無い。日本の有名寺社は、きっとボロ儲けしてるんじゃないか。それに比べれば杭州のやり方の方がずっと良いような気さえする。そしてまた、行政自らが高級リゾートを運営するのも日本ではありそうにないことだ。でも高級リゾートだからこそ一帯のグレードが上がっている。そういう面は確かにあると私は思った。
一党独裁だからできること、曲がりなりにも社会主義だからできること。嘉峪関の街もそうだったが、中国の観光開発は行政主導で大きく動いている。中国はなかなか強大な国になりそうだ。
中国のスローガン、2種
いま中国のどこに行っても見かける標語がある。電車の中、街の電光掲示板、テレビ・コマーシャルなどなど、どこでも同じ標語を見かける。「社会主义核心价值观」(社会主義核心価値観)と銘打って、次の10個の言葉が並ぶ。(2018夏)
心意気としては大いにアリだと思う。中国の実態と合わないところがあるとしても、標語とはそんなものだし、間違ったことは何一つ言っていなし、なかなかすっきりとして良い感じだと思う。子供に学ばせる用語集としても悪くない。
たまたま通りかかった雲南大学の校舎の屋上にも掲げられていた。
他に、次のようなものも見かけた。
「邪教は人を害し、己を害し、社会を害する」と言うことなんだろう。ところが、こちらはよろしくない。なぜなら、この言い方は単なる決めつけだからである。
ある宗教なり社会的活動なりを「邪教」と呼んで「奴らは人を害し、己を害し、社会を害する」と言うのだが、「邪教とは何か?」という説明もないし、他の宗教や活動と「どこが違うのか?」という視点もない。
この言葉は「あれは邪教だ」というところから始まっている。そして「邪教とは何か?」という問いに対しては「人を害し、己を害し、社会を害するものが邪教だ」という答えしか返ってきそうにない。
つまりこの言葉は形の上では無意味な同語反復(トートロジー)でありながら、根拠のない決めつけによってある活動を一方的に迫害するだけの暴力的な力を持つのである。
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