
高齢者に対話の場を届けたい
少子高齢化の時代、これまでのように高齢者を医療機関・介護施設に送り込むやり方では対応できそうにない。では、どうするか?
「少子高齢化️+核家族化+近所付き合いの希薄化」によって、一人住まいの高齢者が増えながら、その一方で話をする機会が減りそうだ。
歳をとると出来ないことが増えていくが、何が出来て何が出来ないかは、人それぞれみんな違う。当人が言わなければ、周りの人には分からない。
生活する上で何に困っているかも、お互いに言わなきゃ分からない。言えば、上手く乗り切る術を見つけたりすることもあるだろう。
辛いこと・悲しいことをみんな何かしら抱えているが、あまり口にしてこなかった。お互いに打ち開ければ、聞く方も話す方もきっと楽しい。
楽しいお喋りより、他の人の話をしっかり聞くことを心掛けよう。聞けば、それまでの自分に無かった新しいものが得られる。
多くの高齢者にとって対話することは新しい学びだろう。体力をあまり使わない、みんなにとって対等で、知的な学び。
歳をとれば体は衰えるが、心はそうとは限らない。繋がり次第で心は如何ようにも変わりうる。成長し続けることも十分ありうる。
そうやって自助・自立が促されれば、医療機関・介護施設に頼る割合も自ずと減るだろう。支える側に回ることだって出来そうだ。
死とは何なのか? 老いるとはどういうことなのか? 答えが出ようが出まいが、人は皆、年老いて死に向かう。どうせ避けようが無いなら、対話のテーマにしてしまうのも手。
高齢者同士が対話を通じて知り合って、仲間が順々に死んでいくのを見るのも大事な経験だ。避けられないなら、受け入れるしかない。
「高齢者に対話の場を届けたい」と私が考えている訳を、箇条書きしてみた。
その難易度については今のところ無頓着。でも始めれば、たちまち出来上がっていく予感がある。