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魂の軌跡〜自己紹介に変えて〜
陽子という名前の通り、明るくて真っ直ぐな魂だったろうと思うのだけれど、人の何やらを無意識に見抜いて言葉にしていたようで、それがきっかけで学校社会では心身ともに打ちのめされる。学校でそうであったように、家族においてもやはり人が隠していることがわかってしまう御しにくい娘だったように思う。船場で繊維事業を営む両親の背中を見て育ち、大人相手にいっぱしの言葉遣いや対応をする子供だった。
子供の頃は感情の起伏も激しかったように思うけれど、いつの間にかそれを表に出さなくなった時、孤独と不安という自分の内面に取り込まれていたように思う。それを一時、解放してくれる穴のようなものが恋愛であり、言葉を学ぶことであった。音楽や詩、歌もだいすきだったけれど、孤独と不安を友にして歩いていた自分は幼少期の人間関係の不振もあって「疎外感」を感じないでいられるような「ここではないどこか」、という世界を探していたようにも思う。
そんななか、17歳でタイに住むことになる。普通の女子高生がしないような経験を様々積みながら、彼らのおかげで「愛されている」という実感を初めて持つことができた。愛を感じることができたおかげで平安ということをしる。ものすごく辛いことがたくさんあったけれど、そのリターンが「愛」を感じることだったと思えば結果オーライ。
たくさんの仏教的な実践、瞑想、理論書を現地で手に入れ、読み込むことはこの頃から始まった。上座部仏教のおかげで「孤独感」に耽溺していた世界からそれを解析、理解、昇華するという手段を手に入れる。
帰国して逆カルチャーショックを受けながら入った大学で、私が愛を知った国や人たちは「憐れむべき貧しい人」だった。自分の体感とのギャップに悩みながらもそれが彼らのためになるならと一生懸命運動をサポートした。ある時、自分が手伝いをしている人たちと自分の意識の差に「自分のやり方で恩返しをしよう」と決断する。
その一方で、上座部仏教、原始仏教を通じた自己分析などが進む一方で、日本思想研究などにも没頭して研究生活を続けるつもりが、会社の倒産破産を経て、働きながら血縁関係のない祖父母の介護、看取ることにより、愛の形や血のつながり、家族について考察を深める。
介護の終わりと共にフリーランスで本格的に「恩返し」のためにタイ関係の事業を本格化。長期的にタイに滞在する時期も長くなり孤独は諦観や宇宙的な愛へと変わりゆく。大きな存在、タイ語でหงสรส์ (ホンサロット)という、神様の乗り物、すなわち宇宙、神様のような存在の意図を柔軟に受け入れ、この世に体現させられる器として生きようと決める。
タイ仏教をはじめ、原典に当たりながら自らのテーマに従って魂の赴くがままに学びと実践を続けることが何よりの幸せ。中庸を旨とする姿勢は長く務めた取り調べ通訳などの経験にも深く役立つ。自分の主張や想い、どちらが正しいかというジャッジよりも双方の言い分に耳を傾けていくことに重きを置く。とはいえ自分の主張、ありうべき未来や方向性がないわけではないので、そのクライテリアから外れた場合はスッパリと縁を切ってしまうため、その経過が見えない周囲には唐突な人だと思われがちかもしれない。
その孤独を共として一生穏やかに生きていけると判断、決心した途端、現在のパートナーに出会う。幾多の不思議な経験や啓示を経て運命を受け入れることにする。「生きてりゃ矢面」と腹を括って生きながらも人間に対する耐性がなくなって引きこもりがちだった自分の能力を存分に開花させてくれる相手に出会えたことで、一人の時とは違う境地での穏やかさに到達。1+1は2以上になる学びと発見の日々は刺激的で穏やかで自由である。
彼との出会いがなければすでにこの世にはいなかったろうと思うので、この人生はプラスアルファ。
宇宙から与えられた時間を有意義に、必要に応じて誰かに能力を使ってもらえるように自らの心身を磨く日々。