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様式美を楽しむ

様式美

先日、新作組踊と銘打った演目を聴いた時、いつもと雰囲気が随分違っていた。
それを聴いたからこそわかったのだが、組踊はリアリズムを求めるものではなく、様式美を楽しむものだと。
その演目は、作られた当時に、組踊の灯を消さないように考えて、言ってみれば観客に寄り添う形でわかりやすく写実的にしたもの。そうせざるを得ない状況から生まれた組踊だから、違和感を感じたと思う。

お約束

何故、違和感を感じたのか。
その組踊では、お約束というものがあまりなかったことに起因する。
感情は地謡と一緒に表現するというお約束がなく、立方が感情溢れる表現をし、地謡は、映画でいうところのサウンドトラックのような役割をしていた。
確かにその方が感情移入はしやすい。

誰にでもできるが、誰にもできない

「組踊は、誰にでもできるが、誰にもできない」ということを聞いたことがある。
自分なりの解釈だから違っているかもしれないが、組踊は、お約束で成り立っている、型にはまっていると言ってもいいだろう。
型にはまっているから誰にでもできる。
立方は、感情表現を表出しないように、でもその人物になりきって内面で表現していて、地謡は感情表現を立方と一緒に演じている。つまり立方は感情を表さないよう我慢を強いられ、地謡はそれを支えている。

だからといって、誰が演じても同じにしか見えないかというと、やっぱり違う。
素晴らしい立方や地謡は、目を惹くし、聴かせてくれる。個性が出ているし、感動する。

何が違うのか

では、何が違うんでしょう?
私ごときが言うのもおこがましいのだが、練習量の差や作品への理解、先人の教えなどではないかと思う。

様式美を楽しむ

個人個人の好みですが、私はやはりお約束の型にはまった組踊の方が聴いていて楽しい。
それが様式美を楽しむということだったんですね
(๑˃̵ᴗ˂̵)

手事があって、衣装でどんな人物かわかって、名乗りがあって、感情を地謡が担って、独特の台詞まわしや、綺麗な舞、時々、狂言のような場面やマルムンがでてきたり...etcと、そんなんがいいね(^-^)