二歳踊りは、大和向け?
二歳踊りは大和向けなので、冊封使の前では披露されなかったとの説明をよく目にする。
確かに江戸上りの際の絵巻『舞楽図』には二歳踊りがあるが、冊封側の『中山伝信録』、『冊封全図』、『琉球全図』を見る限りは、見当たらない。(そもそも芸能関係の図がほとんどないが・・・)
だがしかし、例えば『万歳敵討』には「口説」、『忠臣身替の巻』には「道行口説」という七五調の口説が組踊中にある。
もちろんこれらの組踊は、冊封使の前で披露されたという記録が『冠船躍方日記』などにある。
とすると、もしかしたら公式な場ではない私的な催しなどでは、二歳踊りも披露されていたのではないだろうかと思われるのだが、如何であろうか?
多くの本を読むようになると、色々なことを知るようになり、逆に疑問がわきますね🤔⁉️