大震災に思う
大きな衝撃
きょうは阪神・淡路大震災から26年。3月には東日本大震災から10年、4月には熊本地震から5年を迎えます。横倒しになった高速道路、押し寄せる濁流、崩れ落ちた石垣、どの惨状もショックが大きくて言葉がありませんでした。
自然の猛威が日常を脅かす現実に出くわすたび、無力さを感じるとともに、いろんな専門家の調査結果や見解が出てきて、減災・防災の難しさを感じています。
素人の発想
例えば、ものすごく地震の研究が進んだ世界。地震発生予測だけでなく、大地震を未然に防ぐ技術が生まれたとしたら…。
マントルの動きを調整してプレートの滑り込みを解消するとか、地下の岩石にかかる力を何らかの方法で逃すとか。そんなことができたら、地震による被害は世界中で最小限に抑えられるんじゃないかと素人ながらに考えていた時期がありました。
しかし、相手は自然。いや、母なる地球。研究が進んでも、自然環境や社会環境が変わればまた違う問題が出てくるのではと思い直しました。
自然をコントロールすること
地震を人類の手で克服することを妄想していたとき、何かの媒体で天気を操作することについての情報に触れました。
はっきりとは覚えていないのですが、天気をコントロールすることができれば兵器として使えるという内容だったと思います。
例えば、敵国に対して大雨を降らせて水攻めをしたり、干ばつを起こして兵糧攻めをしたりするような。あるいは、大型台風を敵国に進軍させるといった方法で攻め落とすというようなものでしょうか。
なんとも恐ろしい発想をする人がいたものだと驚く一方で、軍事転用の可能性はゼロではないとも思いました。核兵器に替わる新たな兵器になりやしないかと。
そう考えると、地震の発生を解消する技術も戦争に使われるかもしれない。使用する側の倫理観は不可欠だし、自然をコントロールする中でヒューマンエラーやシステムエラーの発生だって考えられます。たとえそれが悪意のないミスだったとしても、悪意と捉えられることだってあるかもしれません。
結局…
自然と対峙する以前に、人と人、あるいは国と国とが良好な関係でなくてはならない。つまりは平和な世の中があってこそ、人類一丸となって自然の猛威に立ち向かえるのではないかとも思うわけです。
もちろん、自然破壊に繋がらない程度の、どこにもしわ寄せがこない技術が生まれて、人命を脅かす災害を回避できることが望ましいのですが。
本日も最後まで妄想に付き合っていただき、ありがとうございました。