私の物語(留学編)
フラー神学大学院に行った一番の収穫は、自分の鎧を脱げたことです。
世界観と価値観が大きく変わりました。文化人類学、異文化コミュニケーション、カウンセリング、宣教界の女性史、宣教史、宣教神学、実践神学などから大切なことを学びました。教授やクラスメイトの発言は、経験に裏打ちされ、真実味がありました。私が魅力を感じた教授や友人たちは、損得を選別する生き方ではなく、俗と徳を選別する生き方をしてきた人でした。School of World Missionのチャペルからもよい刺激をもらいました。聖書の教えを本気で実践しようと犠牲をものともせず、宣教や社会正義に生きてきた人がすぐ隣にいるというのは、日本では考えられないことで驚きでした。学校内だけではなく、教会で知り合った歯医者さんやアルバイトをさせてくれたハーフウェイハウス(刑務所を出所した人がスムーズに社会生活に入れるように支援する施設)のディレクター、John & Elsie Bentonもそうでした。教授のCharles KraftとCharles Van Engenは恩師と呼べる人です。 L.A.のスラム街で小学校の校長をしていたというMary Thiesen,とキリスト教が禁じられていた共産主義の国々の教会を支援してきたKarrina Hamは、心から尊敬できる友人でした。アパートの部屋をシェアしたCheryl(アメリカ人), Christina(スイス人), Andrea(ドイツ人)、大切な気づきをくれたJohn(オランダ人) やBob(アメリカ人), 教会コンサルタントでバイトをしたときに親身に関わってくれたStanやKeith(日系アメリカ人)。小さなことも、大きなことも、彼らは誠実で真剣で正しいことを求めていた。アメリカのひどい経済格差、移民問題、人種や民族の分断、そういった問題から目を背けずに、皆、小さくても自分のできることをして、少しでも世の中を良くしようとしていた。人の目を気にしたりはないし、「みんなで渡れば怖くない」という変な妥協もない。そういう人たちに囲まれて、ものごとを損得ではなく、徳と俗、義と不義という視点で見て、損はあっても正しい決断をすることが普通になり、腹が座ってくると、心が軽くなり、人間関係でもリラックスできるようになりました。
私はお金のない苦学生でした。ぎりぎりの生活というものを人生で初めて経験しました。授業料や家賃の支払いに窮して、学校の担当者に頭を下げに行ったこともありました。そんな時、心揺さぶられる形でお金が与えられたことは大きかったです。「みこころならばお金は後からついてくる」が現実になったことは、神さまの存在を一番リアルに感じられた出来事でした。
ハーフウェイハウス(刑務所を出所した人がスムーズに社会生活に入れるように支援する施設)でのアルバイトは忘れられない経験です。施設の住民の中には、戦争花嫁として渡米し辛酸をなめた女性の娘さんたちもおられ、思いもかけない形で、戦争に傷跡を見ることにもなりました。しかし、過酷な環境から娼婦になり、麻薬に毒され、ヒモに殴られ搾取され、挙句の果てに犯罪者になってしまった女性たちが、自分をリスペクトすることを学び、短期的な損得ではなく、義・不義、聖・俗の区別をつけて正しい選択をすること、そして怒りをコントロールすることを学び、下心のない愛や親切を体験し、栄養バランスの良い食事を作れるようになり、時間やお金の管理方法を学び、社会で自立できるようになっていく。その過程の一端を見れたことは、非常に大きな喜びでした。ある時、バイトの日ではないのに施設から呼び出しがありました。どういうことかしらと出かけていくと、苦学生の私のために、少量すぎて施設では使えない乾物や缶詰を茶色い紙袋に詰めて「勉強、頑張るんだよ」と、皆で渡してくれました。涙が出るほど嬉しかった。だって、彼女たちは愛を受け、愛を与えることを学んでいると分かったのですから。
私は、小論文の評価や試験の成績にビクビクしていた時期を経て、学びたいことを学んでいると実感できるようになり、自分に自信がつきました。留学生会のCo-Chairになると、徳も頭脳もある優秀な人たちとの交流がさらに増えました。また、カウンセリング体験を通して父の死を克服できました。本当に優秀な人に出会うと競争をする気にもなりません。自分の限界を穏やかに受け入れることができました。日本にいる頃は、自信ありげに見せなければ、と虚勢を張っているようなところがあったのですが、自分に正当な自信を持ち、自分の限界を謙虚に受け入れ、私は鎧を脱いで穏やかな人になりました。
それまでの私は、自分を持とうと戦っていました。しかし、理想の自分像は結局は世間の理想に揺さぶられていて、つまらない競争心や嫉妬心がくすぶっていました。しかし、そういうものから自由になり、かろやかで穏やかな心を持てるようになりました。世間の価値観に揺さぶられないことが、自分を持っているということならば、私はついに自分を持ったのです。こうして、私の自分探しの旅は終わりました。(続く)