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「教会につまずく」ということ

最近は少なくなったけれども、時々「教会につまずく」という言葉を耳にします。以前、「デイリーブレッド」というデボーションガイドを発行する事務所で働いていたとき、時々、そういう方から電話がありました。大概は「デイリーブレッド」の送付を止めてくださいというものです。当時はアプリやデジタルリソースはなくて、定期的に冊子を指定された住所に郵送していました。デボーションガイドは「デイリーブレッド」だけではなかったし、ガイドなしでデボーションしたい時もありますから、通常、キャンセルのお知らせに関しては「承知いたしました」とお答えして終わりです。

でも時々、「この人は何か言いたいと思っている」と感じるときがありました。そんな時は「差し支えなければ、理由をお伺いしてもよいですか?」とか「何か不具合がございましたか?」とお尋ねしました。すると「私、教会につまずいたんです」みたいなことを言われます。「教会につまずいたら、『デイリーブレッド』をキャンセルする。教会の誰かに勧められた本だから、教会が嫌いになったら、本もきらいになってしまう」、恐らくそういうことだと思いました。「今まで送ってくださった本を返送します」という人さえおられたのです。

教会の運営に関する決定や教会の人間関係に失望したときに、「でも、イエスさまとはつながっていよう、何とか信仰を育てて、なりたい自分になっていこう」、そう思ってその方が踏ん張るためのツールに「デイリーブレッド」は成りえなかったかった。そう思うと、とても残念でした。

そんなことがあった日、私はよく思いました。

「あの方は教会に失望した。それって教会につまずいた?それとも、教会があの人をつまずかせた?どっちの言い方が、正しいの?」

「つまずく」を検索すると次のように書いてありました。

  1. 歩く時、足先を物に打ち当てて、前へよろける。

  2. 中途で障害にあって、失敗する。挫折(ざせつ)する。

また、AI (Copilot)に「人間関係につまずくとはどういう意味ですか?」と尋ねると以下のように答えてくれました。

「人間関係につまずく」とは、人との関係において問題や困難に直面し、うまくいかない状況を指します。具体的には、誤解や対立、コミュニケーションの不足などが原因で、関係がぎくしゃくしたり、悪化したりすることを意味します。

この「人間関係」の部分を「教会」にして、「教会につまずく」の意味を説明すると以下のようになるでしょう。

「教会」との間で、誤解や対立、コミュニケーション不足などが原因となり、困難や障害が生じている。

でも「教会」とは、人の集合体なので、自分が困難に感じている「相手」を具体的に考えてみる必要もあるのかもしれません。例えば、以下のように。

  1.  組織のリーダー(役職についている人)が、〇〇という理由で期待外れ

  2. 役職についてはいないけれど、「うちの教会は〇〇なんです」と、何かと指図してくるおつぼねタイプの人がうっとうしい

  3. 不健全なことに対しても、見て見ぬ振りをする人が多すぎる

  4. 決定事項の不透明性など運営上の問題がある

  5. 奉仕や献金などに関するプレッシャーが嫌い

  6. 仲間はずれにされてきた(あるきっかけがあってから、仲間はずれにされた)

等々

つまり、自分がつまずいた「石」は何だったのか。それをきちんと特定する。同時に、自分が状況を誤解しているということはないか、自分はコミュニケーション不足がないように率直に話したかを確認します。

私は、障害の正体を明らかにすることが、その方にとって有益だと思います。教会コミュニティから出ていく決断をした後でも、時間が経ってからでも、振り返って考えてみることが大切だと思うのです。そして、聖書に照らして自分の行動に納得がいくのならば、神の御前に、後ろめたいことはありません。だって、転ばなかったのだから。しばらくは、教会に行かなくてもいいし、別の教会を探してもいい。でもね、その間、「イエスさまとはずっとつながっていよう、何とか信仰を育てて、なりたい自分になっていこう」、そう思って踏ん張るための何らかのツールを持ち続けてほしいと思うのです。

ネットで知らない教会の礼拝の説教ノートを読んだり、YouTubeで礼拝メッセージを聞いたり、平易な言葉で書かれた信仰書を読んだり…。もちろん、「デイリーブレッド」がそのひとつになるならば、それはとても光栄です。



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