聖書に見るお墓の話
お盆休みにお墓参りをした方も多いことでしょう。そこで今日は、聖書にあるお墓の話をしますね。聖書は日本人にとって身近な書物ではありませんが、グローバル化のただ中で働いておられる方の中には、聖書物語を教養として知っておきたいと思われる方もあるようです。少しでも、そういう方のお役に立てればよいなあと常々思っています。
さて、聖書に「墓」という言葉が最初に登場するのは、ユダヤ人の父祖アブラハムが妻のサラを亡くし、彼女を葬る墓地を買う場面です。アブラハムは多くの家畜と銀(当時の通貨)を持っている裕福な人でしたが、自分の土地を持たず、ヒッタイト人の城壁のある町、ヘブロン(現在のエルサレムの南45kmほどの地)に寄留していました。恐らく、その地の王と何らかの契約を結んでいたのでしょう。家族や使用人と共に平和に暮らしていました。そして、妻サラが亡くなると、ヒッタイト人に、私有の墓地、マクペラの洞窟を売って欲しいと頼みます。そして、今のお金の価値だと1,200万円ほどを支払って、その洞窟を購入します。当時の金持ちの墓は洞窟だったようです。
このマクペラの洞窟のお墓が興味深いのは、その後の旧約聖書の記述を見ると、日本でいう「先祖代々の墓」に似ている点です。
アブラハム自身、そして彼の息子夫婦もそこに葬られます。そしてアブラハムの孫にあたるヤコブ(彼からイスラエルの12部族は勃興します)は、ゆえあってエジプトで亡くなりますが、死期が近づいた時に、自分をエジプトには葬らず、必ずマクペラの墓に葬るように息子に命じます。そしてそれを実行した息子ヨセフ(彼の11番目の息子)は、エジプトの宰相でしたから、死後にミイラにされて納棺されますが、彼も遺言を遺し、モーセが「出エジプト」を決行した際、ヨセフの遺骸は、エジプトから運び出されます。聖書はそれがどこに葬られたのか語っていませんが、運び出しの意図は、明らかに先祖の墓に葬るためだったと考えられます。
そしてもう一人(これが私にとって最大のにっこりポイントなのですが)、この墓に葬られた人がいます。ヤコブの第一夫人のレアです。
レアは夫に心から愛されることのなかった女性でした。夫の心を捕えていたのは、彼女の妹ラケルでした。この訳アリな関係を作ったのは、姉妹の後見人だった兄のラバン。彼は美しくないレアを先に嫁がそうと、ヤコブを騙して、彼女の夫にしてしまいます。それから、妹ラケルと結婚させるのです。ひどい話ですよね。そういう背景のために、ヤコブはレアに夫婦の義務は果たしますが(二人の間には6人の息子と1人の娘が生まれます)、彼の心が彼女に向くことはありませんでした。
レアは、長い間、夫の愛を求めて苦しみますが、6人目を生んだ後、こう言います。「神は私に良い賜物をくださった…夫は私を尊ぶでしょう。」
この言葉の意味は、彼女がついに自分の存在の拠り所が、夫の愛ではなく、神の愛にある、と気づいたということです。
ヤコブは臨終の時、自分がレアを葬ったあの先祖の墓に葬って欲しいと遺言します。その言葉を通して、旧約聖書は「夫は私を尊ぶでしょう」というレアの言葉が、現実になっていたことを伝えます。悲しいことに、ラケルはあることのために、先祖の墓に葬られるという栄誉を失っていました。
聖書には当時の様々な理由で弱い立場に追いやられた女性の話がいくつも出てきます。旧約聖書や新約聖書の福音書(イエス伝)の背景は中東の文化なので、日本人の女性が共感できる話ばかりです。少なくとも、私にとってはそうです。聖書の神は、そういう女性の人としての尊厳を守り、自立した女性に栄誉を与えたり、女性の自立を促したりしています。残念なことに、聖書は男性目線で語られることが多い(伝統的に牧師や神学者は男性が多いので)のですが、しっかり読むと違ったことが見えてきます。ジェンダーギャップは、神学にも大きな影響を及ぼしていて、今、欧米では、どんどん改善されていますが、日本はとても遅れています。早く追いついて欲しいと思います。
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