いわゆる、「老ける」とは
ある日、「老ける」についてふと思ったことがあった。
年を老いていくというのは価値の高いものと考えられる一方、求める人はあまりいない。人間は皆、「老ける」ことが怖いのかもしれない。
ママにこの間
何かを隠すという行為はある意味「老ける」の第一歩もなのかもしれない
と言ってみた。
何いってんの、なんて否定でも肯定でもない言葉をかけられたけど、わたしはこの説をおしていきたい。
「老ける」を自分の個性と捉える人は少なく、多くの人が「それ」を隠すのだ。40代に突入してできた「シミ」を「コンシーラー」で隠す。重ねてきた「年齢」を隠す。歩んできた「経歴」を隠す。失敗した「過去」を隠す。
これらはすべて、生きてく上で必然的に起きる現象と言っても過言ではないはずなのに、大人たちは毎日必死になって隠してみる。
けどどうだろう。
「老ける」というのはそんなに悪いことなのだろうか。年を取る、というのは一つの勲章ではないのだろうか。
毎日、会社に行って、汗水流して、時には泣き、時には失い、時には愛する。
若者には持てない、立派な証であるのに。
それを隠そうと思った時、わたしは初めて大人の仲間入りになると同時に、「老ける」を体験するのかもしれない。