ねこのコーネ
2月22日。
「にゃんにゃんにゃん」ということで、今日は「ねこの日」とされていますね。
近ごろのねこブームによって、テレビやネットでも話題になっているので、ご存知の方も多いはず。ペットにねこを飼う人口が年々右肩上がりで増えていて、下降気味の首位・いぬを飼う人々の数に肉薄しているようです。
noteではじめての投稿は、我がいとしのねこについて書きたいと思います。(この文章は、以前勤めていた会社のブログに書いたものを再編集しています)
自己紹介が遅れました。僕の名前はコーネすき夫。ほぼ本名です。
我が家のねこ、コーネのことが大好きな昭和62年生まれの男です。それだけ覚えてもらえたらじゅうぶんです。
コーネとの出会いは、忘れもしない2009年5月22日。
当時、建築系の専門学校生だった僕は、学校終わりの夕暮れ時に、実家で暇を持てあましていました。
ふと、「本屋でエロ本の表紙でも見比べよう」と思い立ち、家から歩いて5分の書店に向かうことにしました。
普段であれば、“どんなに近い距離でも自家用車で移動しようとする田舎社会の不健康な人間”という典型に漏れない僕。ただ、その日は春風が気持ちよかった。かなりめずらしく「今日は歩いて行くか」という考えになり、サンダルではなく、スニーカーを履きました。玄関を出て、家と書店の間に横たわる大きな公園の芝生広場にほがらかなきもちで足を踏みいれようとした、そのときでした。
「……ゃ…」
おや、なにか聞こえたような気がするけど、勘違いかな?
「……にゃ…」
ん、やっぱりなにか聞こえるような気がする。
「…にゃ~ん」
猫? どこかに野良猫でもいるのかな。
「にゃ~んにゃ~ん」
よく鳴く猫だな。どこにいるんだろう。
21歳の僕は、それまでの人生で猫にふれたことが一度もありませんでした。まず実物の猫を見る機会がほとんどなかった。我が家はもちろんのこと、親戚の家にも、友だちの家にも、猫はいなかったのです。
少年時代、港に野良猫が集会しているのを何度か見たことがあるくらいで、あんな目つきの悪いゴロツキとは友だちになれそうにないなと幼心に思ったものでした。
つまり、かわいい女子の前ではにゃんにゃん言葉で話す僕ではありましたが、本物の猫が本当に「にゃんにゃん」と鳴く姿を見たことがなかったのです。そうなると、とたんに興味がわき、この鳴き声の主を見つけるべく辺りをきょろきょろと探しだしました。
鳴き声がする方をたどっていくと、次第に芝生広場から離れ、公園の外周を囲う水路へと近づいていきました。前日に降った雨の影響で水かさが増した水路は、明らかに流れが速くなっています。
鳴き声は、水路の方から聞こえてきます。水路に近づくほどに、猫の声も近くなってきました。
もしかして。
1メートル下の水路を覗き込むと、ちいさなちいさな子猫が、端の水草につかまりながら「にゃ~んにゃ~ん」と必死に鳴いているではありませんか。
「「にゃ~ん!」」
知っていますか。溺れた子猫を見つけたら、人間も「にゃ~ん!」と叫ぶんですよ。叫び終わると同時に、僕は水路に飛び降りていました。体が勝手に動きました。宇多田ヒカルに言わせれば、イッツ・オートマティック。
先を急ぐ水流にジーンズが張りつき、下半身がひんやりする中、水草につかまる子猫と対峙した僕は、かたまりました。
猫どころか、わりと大きめのほ乳類さわったことない。
我が家ではペットらしいペットを飼ったことがなく、動物にふれる機会がほとんどなかったため、僕は動物の抱き方が全くわかりませんでした。それに、やわらかくて生あったかいあの感触を、なでるならともかく、手に抱くなんて行為は、ガールズ以外のほ乳類未経験の僕にとってかなり難易度の高いプレイだったのです。
しかし余談をゆるさないこの状況で、高校から続けていたラグビーが活きました。
濡れしぼんだ子猫を、ラグビーボールを持って走るがごとく、小脇に抱えることに成功したのです。あとは水路から這い上がり、50メール6秒台前半の俊足で家までダッシュするだけでした。
玄関扉を開けた僕は、キッチンで夕食の仕度をしていた母に向かって「バスタオル」と叫びました。なにゴトかと玄関にやってきた母が叫び返します。「ネコやん!」
そうです、ネコです。ネコが溺れてたから助けてきたのです。
変なテンションの母に状況を説明しバスタオルを得た僕は、庭のキャンプチェアに腰をおろし、手の中にいるちいさな子猫の水気を慎重にぬぐい取りました。
ひとふき、またひとふきとタオルで子猫の体をさするたびに、胸がどきどきしてきました。さっきまで濡れほそっていた子猫が、だんだん、今までみたこともないほど愛くるしい生き物に変貌していくのです。
すっかり乾いた頃には、子猫本来の姿があらわになりました。
くりくりおめめに、ピンクのおはな。真っ白ふわふわおけけに、まあるいしっぽ。
かわいい、かわいい、かわいい!
神様、この生き物が天使じゃないのなら、いったいなにが天使だというのですか。
この子はおそらく野良猫でした。
毛は真っ白だけど、水路に落ちたくらいじゃ到底つかないような汚れが、ところどころ見受けられたからです。このとき僕は、この子を一生面倒みようと、穏やかに、ごく自然に、そう思ったのでした。
さて、問題はここからです。
先述した通り、我が家ではペットらしいペットを飼ったことがなく、猫などというほ乳類は未知の生物でした。家族、とりわけ両親を説得しなければ、僕と子猫のめくるめく愛の日々がはじまりません。
まずは母から説得です。母はすでに「ネコやん!」の時点で状況を把握しているので、話は早いはず。乾いた子猫を抱いて玄関に入りました。そしてふたたび母を呼びつけ、腕の中にいる白く輝く宝石を、エプロン姿の初老にお披露目したのです。
「きゃわいーん!」
初老が少女になるのも無理はありません。それほどまでにこの宝石が放つ輝きは特別でした。僕は意気揚々と「この子、飼おう!」と提案しました。しかし、返事は耳障りのよいものではありませんでした。
「なに考えてんの、無理に決まってるでしょ」
そこからは土下座営業でした。就職前でしたが、後にも先にも土下座営業をしたのはこのとき限りです。親に悪態はつけど、額を床にこすりつけたことなど一度もありません。根負けした母は、とりあえずお父さんに聞いてみなさいと、つかの間の滞在ビザを発行してくれたのです。
父が帰ってくるまでのあいだ、玄関に段ボールで簡易宿をつくり、タオルを敷いて、その中で牛乳を飲ませました。
なんの知識もなかったのでとりあえず牛乳をあげたのですが、子猫に人間用の牛乳は飲ませない方がいいみたいですね。下痢をします。
うんちで汚れた段ボールとタオルを交換し、父の帰りを玄関で待ちます。
その日は金曜日で、父は外食をして帰るとのことでした。
0時がすぎたころ、靴音が聞こえてきました。
緊張の瞬間です。さっきまですやすや眠っていた子猫も、別の人間の気配を感じ取り、警戒してにわかに起きました。
「ただいま。ん、なにその段ボール?」
「おかえり。我が家の新しい家族です」
子猫を抱いてスーツ姿の初老にお披露目しました。
「きゃわいーん!」
さすがに嘘だと思うでしょう。でもこれほんとにマジなんですよ。
とはいえ、やはり飼うとなると一筋縄ではいきませんでした。
本日二度目の土下座営業の末、やっとの思いで父の説得に成功しました。
そして家族全員を玄関に呼び、新しい家族の紹介をします。
「名前は、コーネです!」
ねこのコーネ。
ネコを反対から読んだだけでこんなにもヨーロピアンで中性的で愛らしい名前になるなんて。単純明快で、一度聞いたら忘れない響きのよい名前。我ながら最高のネーミングだと思っています。
僕は高校生の頃から、将来もしも、
犬を飼うことがあったら「ヌーイ」
猫を飼うことがあったら「コーネ」
と名付けることに決めていたのです。
ちなみに、英字表記は「Cornet」です。最後の「t」は発音しないフレンチな発音でシルブプレ。
コーネがうちにきた日の写真です。
ねえ、かわいいでしょう。自慢の妹です。
そう、コーネは女の子です。翌日、動物病院に連れて行ったときに判明しました。
先生におまたをおっぴろげられました。女の子になんてことするんや。
「そういえば先生、この子、毛がふわふわでそこらへんの野良猫とはどう見ても一線を画してるんですけど、ペルシャとかチンチラ…「雑種ですね」
食い気味に雑種認定されました。
別にいいですけどね、雑種だろうがなんだろうがコーネのかわいさに変わりはないんだから。
それからというもの、生活が一変しました。
はじめ、「コーネはかわいいけれど、キレイ好きな我が家では毛がすぐ抜けるので、玄関だけで飼うものとする」という決まりが制定されたのですが、次の日には廊下にあがり、その次の日にはリビングにあがり、その次の日には二階にあがり、一週間もすれば5LDKある我が共和国は、コーネさまに支配され、盤石なコーネ帝国が築かれました。ローマは一週間にして成ったのです。
コーネはとてもお利口でした。トイレはすぐに自分の便器でするようになったし、人間の食べ物には口をつけません。(たまに小魚とかするめは食べたそうにするけど)
猫かわいがりとはよく言ったもので、コーネは家族の愛情を一身に受けてすくすく成長し、一年が経つころには、おとなのねこになりました。おとなになってからも家の中でかけっこするのがすきで、ひとりで運動会をしたり、家族と鬼ごっこするのが日課です。
コーネはふだんクールです。ベタベタしようとするとそっぽを向かれたりします。それでも気を許すのは家族だけで、ほかの人が家を訪ねてきたら、ベッドの中にもぐりこんで息をひそめて隠れる臆病な性格をしています。避妊手術をして帰ってきた日は家族にさえも怯えて、敵意をむき出しにしてうめき声をあげたりもしましたが、夜にはおちつき、はじめて僕の腕枕で眠ったことをよく覚えています。
基本的には家の中で飼っているのですが、子猫のころは庭先で遊ばせていたからか、玄関扉が開いているタイミングを見計らって脱走することもあります。そんなときは、さんざん走り回って遊んだらおとなしく捕まってくれます。
月に一度はお風呂に入れて、シャンプーしたり毛玉や爪をカットして、身だしなみを整えます。寝るときは、僕といっしょに寝ます。最近は枕をシェアして寝ています。
ちなみにコーネ、コーネと書いていますが、コーネ以外に愛称が過去いくつもありました。
「コーネ」から「コーネさま」になり、「コーネちゃま」になり、「ちゃまコーネ」になり、「ネ」が「ス」になって「ちゃまコス」になり、「ス」が「フ」になって「ちゃまコフ」になり、「ちゃまコ」になり、最終的には「ちゃま」だけになりました。ダーウィンも青ざめる進化論です。あとは「コーネ氏」とか、「コーさん」とか今でもいろいろ愛称があります。それぞれが思い思いに作詞作曲した「コーネの歌」をうたいながらコーネをなでています。
コーネは2020年の3月22日で11歳になります。
動物病院の先生に診てもらったときに生後2ヶ月と言われたので、うちにきた5月22日から逆算して誕生日を定めました。
この写真はきょ年の10歳の誕生日のときの写真です。
コーネは僕に、愛を教えてくれました。
やさしいコーネは、家族が喧嘩を始めると、かならず仲裁にきます。「けんかはやめて」と言わんばかりに、心細い鳴き声を発しながら相対する両者のあいだに割って入ります。「子はかすがい」と言いますが、とんでもない。我が家では「コーネはかすがい」です。
いつかコーネが死んでしまう日がきたら、40を過ぎているであろう僕は、年甲斐もなく、大泣きすると思います。泣いて泣いて、思い出してはまた泣いて、たぶん体が青くなるまで泣くことでしょう。
「世界でいちばん大事なものは?」と問われたとしたら、ぼくは一瞬の迷いもなく、動物病院の先生よりも食い気味に「コーネ」と答えます。
ちょこっと再編集するだけなので、22日に日付が変わったらすぐにアップしようとおもってたんですけど、noteが不慣れなのと溢れんばかりのコーネ愛をあらためて書いていたら、現在早朝6時。空がしらんできました。
さてと、コーネが僕の枕を占領しているので、とりあえずチューして寝たいと思います。おやすみなさい。
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