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犬系彼氏

詩たちは8月に産まれてからというもの少しずつ数を減らしていった。

遠くで犬が吠えている。俺は500年前のことを思い出していた。ジェニーはいい女だったがいつもカシスオレンジを頼んで、飲み終わりのストローをねぶりつづけていた。

ジェニーは俺に、「意味のない世界に意味を見出そうとしちゃってごめぇんね❓」と言った。光は少しずつ傾いてきて、このバーにも、モルヒネが血管に回るように夕日が影を落としてきた。

あと何年使えばいいんだろうね。俺はジェニーに応えた。ジェニーはもう60年も使っているだろうに、その姿はまだ『きむすめ』のようだった。

丹念にストローをつぶす彼女のくちびるは、キスをねだるように蠱惑的だった。ふと顔を上げると俺は犬の顔をしていた。なんでもない事のようにスピリッツを出す店主の眼には、犬の顔となった俺が写っていた。ジェニーは居なくなっていた。一枚の仮面だけが椅子に残っていた。

「これがトリガーなのさ」

店主はぼやいた。「あと何年使えばいいんだろうね❓」この言葉を吐いたものは、永遠の孤独とかわりに、仮面と永遠の命を得るのだった。贄はつぎの贄を見つけるまで、うつしよを永遠に廻り続ける。延々と、永遠と、いま俺は世界の犬として囚われたのだという。永遠に生きるとは永遠に死に続けることだ。自我は少しずつ磨耗していき、そのたびにわたしたちは新しい死を迎える。

不思議と後悔はなかった。それから500年間俺は瞑想を続けていた。ほんとうに、世界に意味はないのだろうか。だって俺はジェニーとの愛に、こんなにも意味を感じていたのだから。俺の下にはずっと重なり続ける屍者の塔があって、そのうえで浅い呼吸をし続けていた。俺たちの死に意味がないなんて、そうは思えなかった。

苦行を終えた俺はなにも掴むことができなかったが、生きていた。自我はまだはっきりとしていた。間に合わなくなる前に、俺はジェニーを救うことができる。そう確信していた。山を降りると少女がミルク粥を授けてくれた。カシスオレンジの味がした。少女は美しかった。スジャータと言った。真の再会はいつか訪れると光はしゃべっていた。500年前から片時も外さなかった仮面を取ろうとすると、顔に張り付いて取れなかった。世界が今日も輝いていることの証明だった。俺は菩提樹のもとで再び目を瞑った。

雑音が湧いてきた。いろいろな雑音があったが、おおかたの雑音は店主の顔をしていた。「仮面を取れないのはそういう自己暗示だ」目の前の店主は言った。「外したければ外せばいいんだ。誰もお前を咎めたりしない」「永遠を手に入れたんだろう❓楽しめば良いじゃないか、永遠を。」俺は汗をだらだらとかきながら仮面に触れた。仮面をなぞると鼻先に引っ掛かりがあった。ジェニーの鼻先は尖っていた。それを思い出して、俺は仮面を外すことができなかった。君のいない鼻先を撫で続けていた。そのとき俺は達した。

天上から焼けるような光が降り注いで、俺はその中心で照らされていた。仮面は外すということもなく外れた。仮面からは「すべて」が溢れ出してきた。すべての人々が、すべての人々との再会を祝って喜んだ。その中には当然ジェニーもいた。

ジェニーは俺に駆け寄ってきて、俺の頬に跡が残るほどのキスをした。とうとう俺はわかったのだ。ジェニーがあのときのセリフを繰り返した。

「意味のない世界に意味を見出そうとしちゃって、ごめぇんね❓」

「生きている意味を知るそのたびに、僕らは永遠に生き続けるんだ」

俺は続けた。

「ジェニー、愛している。」

ファンファーレが鳴った。正解に達したが、俺にはそんなものは必要なかった。ジェニーとただ抱きしめあって、世界が滅びるまでの時間をやり過ごすことにした。

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