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にゃるらが叩かれる理由 華原朋美

 にゃるらが叩かれる理由は一つしかない。彼がオタク村の出身だからだ。彼はいわゆる倫理界隈というところの(近傍の)出身だ。知らない読者のために説明すると、「メンヘラ神」、「はるしにゃん」、「ほわせぷ」など当時有名だったツイッタラーがいた界隈で、メンヘラ系のインテリたちが面白いツイートをしたり、詩を書いたりしていた。彼の作る作品や文章は明らかにそうした界隈の空気感の影響下にある。また彼は、「大司教」という界隈のフィクサーぶったオッサンの運営するシェアハウスに入居していた時期があり、そこを足掛かりにサクセスしていったという経緯もある。

 にゃるらが叩かれる直接的な(アンチが供述する)龍はほとんど2点に集約される。一つは、「メンヘラ女を過剰に戯画化して消費するコンテンツを作っており、そうした創作の態度は非常に不誠実である」というもので、もう一つは、「本人には大した才能も実力もないのに女(月ノ美兎等)を食いまくったりFF比調整しまくったりして成り上がっており、大変不愉快である」というものだ。

 これらの主張の是非について筆者がなにか述べる気はない。問題は、これらが明らかにアンチの
嫉妬であると言うことだ。特に二つ目の、某Vtuberを性行為兼キュレーションしたことに対する不愉快さはあからさまな嫉妬である。一つ目の主張も、おそらく批判者はコンテンツ化をほんとうに道義的に憂いているわけではなく、自分がやりたかったことの先を越された悔しさの否認として出てきたものだろう。にゃるらのコンテンツは、彼自身が新しいものを作ると言うよりは、当時倫理界隈及びその周辺のインターネットに漂っていた空気感をマネタイズできる形で出力したものだと言える。矮小化した物言いをするなら、にゃるらのやっていることはメンヘラ神やはるしにゃんの商業的な焼き直しにすぎない。要は、答えはそこに転がっていて、それをコンテンツ化できる実力さえあれば、当時そこにいた全員がにゃるらになれた可能性があるのだ。

 ここまで見ればにゃるらのアンチが彼の何に怒っているかが見えてくるだろう。「自分と同じ倫理界隈周辺をウロチョロしてたオタククンの癖に、Vtuberとセックスをしたり自分がやりたかったメンヘラマネタイズを上手くやったりしていて、許せない❗️」ということだ。中でも彼らの最も許せないのが、にゃるらが元々自分たちと似たような界隈でくすぶっていたオタクであることだ。当たり前の話だが、嫉妬とは自分と同レベル(と思っている)相手にしか生じない。キムタクに嫉妬する男はいないだろう。テレビという薄板一枚挟んで、自分と生涯関わることのない最高に良い男がいるのだ。嫉妬などするはずがない。話は変わるが、筆者の母親は今でいう港区女子みたいな女で、若い頃は渋谷で芸能人と毎晩遊んでいたらしい。その母は事あるごとに、「自分は華原朋美より可愛い」などと宣う。母の名誉のために言っておくと、客観的に見て母親が美人な方であるのは事実だ。しかし、華原朋美やその他女優歌手のように自分の容姿を売り物にできるほどかと問われると、100%でノーである。華原朋美の話が食卓に登るたびに母親はすこしばかりの妬みの表情を浮かべて自分がいかに美人かをぶっていたものだが、それは母が芸能人を身近に感じるような特殊な環境に身を置いていた経験によるものだろう。環境の共有は不可避的に、自分より優れた人間に対する嫉妬を惹起させる。「自分と違う優れた人間」だと思っていた成功者が下界に降りて来ると、「自分と同じ釜の飯を食ったくせに運良く成功した奴」になってしまうのだ。筆者の母親は華原朋美に嫉妬し、オタク達はにゃるらに嫉妬する。そしてその嫉妬心に対する防衛機制が「華原朋美より私は可愛い👯‍♀️」や、「にゃるらのやっていることは道義的に許されない😤」をもたらすのだ。

 繰り返しになるが、にゃるらアンチのオタクは心のどこかで彼を自分と同レベルの人間だと思っており、その彼が成功を貪っていることに醜い嫉妬心を抱いてしまっていることを認めなければならない。筆者は正直なところここまで書いておいて彼のコンテンツにそこまで詳しくないので、それらコンテンツが本当に素晴らしいのかどうかは分からない。しかし、結果論としてにゃるらになれたのはにゃるらだけで、他のオタクがくすぶった無職のままなのは紛れもない事実である。この現実を認め、克己することでしかにゃるらに勝つ方法はないだろう。



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