外向思考(Te)と内向思考(Ti)について
自分の主機能だと思っている内向思考Tiと、向きが逆の外向思考Teについてまとめてみる。引用多め。ヘッダー画像は左:Te、右:Tiのイメージ。
ひとまず、外向思考と内向思考を主機能と補助機能にもつタイプを見てみる。
外向思考を主機能と補助機能にもつのは、TJタイプ、内向思考を主機能と補助機能にもつのはTPタイプだ。
Te(TJ)は理路整然とした思考、Ti(TP)はランダム的な思考というイメージがJ/Pとの組み合わせから浮かぶ。
上の記述内だと、僕自身は、興味あることに控えめで~というのはあまり当てはまらなく、情報収集をしているときや好きなものを語っている時は、その状況に入り込んでいる認識だ。外向思考って気まぐれなのかな?
思考と感情機能は主観的な経験が培った合理的判断力により支えられているため合理的機能と呼ばれるようだ。
「内向と外向のどちらを指向しているかに関係なく、誰もが外界と関わることでそこには特別な動機づけが生まれてくるのである。この動機づけのための心の相互作用はSP,NP,TJそしてFJの4つの組み合わせがある。」(FJはFeを主機能か補助機能にもつ)
「私たちの心には、自分たちの内向された心的機能のほかに、ときどき心のなかに起こる、引っ張られたり突き上げられたり、という作用がある。これも、タイプ論の一部であることを知っておこう。この作用は、自分たちが周囲にどのような印象を与えるかや自分たちが動機づけられる作用があるのと同じように考えてもらいたい。これらの心的相互作用(SJ,NJ,TPそしてFP)は、外界に対する心的態度と内向された心的機能の間で相互に引っ張り合っているようなものとして体験される。」(FPはFiを主機能か補助機能にもつ)
上記「」内の記述が書籍「MBTIへのいざない」の中にある。
上の表で言うと、動機づけと外界が関連するため、動機づけられるきっかけにはTJ,SP,NPタイプが該当する。(思考機能でいうとTe)
内的緊張には内向機能のSJ,NJ,TPが該当している。(思考機能でいうとTi)
ここでTJとTPの特徴について見てみる。
冒頭の外向思考/内向思考よりもJ/Pの影響が大きそうな記述になっていると思う。
TPの記述で寛容な、とあるがおそらく意識が寛容になる対象に向いていないようにも感じる。
整然とした枠組みを好むかは僕はあまりわからない。インプットの時は整然なものを好むが、色々情報を取り入れて脳内でごちゃ混ぜにして、アウトプットの時は整然ではないものができていることがあるので、そういった意味では整然としたものを好んでいるし、ごちゃ混ぜの状態も好んでいる。
TJについてはなんとなくイメージ通りだと思う。
TeとTiの説明がわかりやすいと思ったサイトがあるので2つ紹介する。
上のサイトの管理人がISTPのようであり、僕もTiユーザーなので説明はしっくりくる。理解(自己満足)に重きを置いているので、Teのような対処というのは当てはまらない。仮に答えを得られなくても何か情報を集めて思考している時が楽しいと思っている。 急ぎの問題解決などに対処する場合でも、まず関連情報をできるだけ集めていくつか解決策を考えたいので急かされるとイライラする。相手の理解を得るための思考ではなく、自分が理解し、納得した上での説明で相手は理解するんじゃないかとか考えている。この辺がTiが独自理論と言われる所以だろう。主観でしかない。
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これはまさにその通りだ。自分が思うTiも、こうなんだよな。Teの例だと刺され損だし、やったもん勝ちに近い世の中はおかしいと思っている。ある事柄について、それって意味あるの?というのはよく考える。
まとめ
僕は、Tiは利己的だと思っている。とすれば向きが逆のTeは利他的かと思いきや、やはりTeも利己的ではないかと思う。(利他というのはしっくりこない。)
Fe/Fiで考えると利他的/利己的というのはまだしっくりするんだけど。
思考そのものが利己的ものなのかもしれない。客観的思考と言っても、結局は主観だし。
Teは全体のことは考えているが、自分も含めて周囲の環境は自分がのし上がるためのコマという印象がある。他人にも利益をもたらすが、自分はそれ以上の利益や評価を手にしたいという感じかな。これはESTJとかがそうで、ENTJはさらに+支配みたいなイメージがちらつく。
Tiは完全に自分ことだけというわけではないが、極力周囲のことを考えなくてすむ環境の方が好ましいと考えている。Teより利己的である。自分が満足するために様々な考えに没頭したい。
Tiユーザー(TPタイプ)は融通の利きやすさによって、TeユーザーがTiを使うよりも、もう少しスムーズにTeを使えるのではないかと思う。
社会においては、Teや他の心理機能も使えなければただの自己中な人間として認識されるため、うまくやっていけないだろう。
仕事上で、感情面と相対することになった場合は、「なぜ、この人はそう感じているのか」を周囲の状況などから推測し、「さあ、どうしようかな」とお得意の思考によって対応する。僕は声を荒らげることはほとんどないが、なんか不公平だなと思ったりもする。
プライベートでは、あまり自分の感情について考えたくはないと思っているものの、「感情」そのものについては知りたい欲はある。
感情面も含めて、主観的な経験を蓄積する中で判断力を鍛え、社会に溶け込むために「思考」するというのは合理的機能として適切な使い方だと考えている。