INTJ おもちの幼少期 その壱
どこで道を外して世の中的におかしいと言われているINTJができあがったのかを紐解いていきましょう。
母親失踪から物心ついた時まで
これは、4歳ぐらいです。
3歳くらいに母親が失踪してたので母親の記憶はなし。
6つ、7つ年上の兄が自分の面倒を見てくれてました。
ゲーム脳
4,5歳の記憶は兄のゲームプレイをずっと眺める日々。
小学校に入ったあたりで携帯ゲーム機を買ってもらいました。
はい、勉強なんてクソくらえみたいな学生時代の始まりです。
ゲーム友達、漫画友達
この項目は少し長いです。
学校が終わったらゲーム、学校が終わったらゲーム、の日々が小学校3年生の時まで続いていたと思う。
友達という概念もなかった。
特殊な家庭だったので、欲しいものを言えば買ってはもらえていたが親としては何もしてくれなかった。
その頃、兄は二人とも中学にあがっており、部屋にこもって何をしているのかもわからない状態。
(恐らく勉強でもしてるんだろうと、当時は思っていたが、おもいっきしアニメにはまっている兄達であった)
ご飯はいつのまにかテーブルに置いてあって、家族団らんで食べるということはなかったし、風呂、洗濯は兄に教わって自分で行っていた。
とにかく、家族の接点はほぼなかったに等しい生活だったのを覚えている。
父親は顔を合わせる度に、良い大学に行けとばかり言ってくるだけのロボットとしか認識していなかった。
小学校4年生の時に、ゲーム友達が初めてできた。
自分が通っていた学校は、糞まじめな人等があつまったクソみたいな学校だったので、まさか学校で同じ趣味を持つ人間と出会うとは思ってもみなかった。
それからは、学校が終わったらその子の家に遊びに行き、二人で携帯ゲームやら家庭用ゲームで遊び惚ける偉大な日々が始まった。
この頃、兄が中学から高校へ進学し、すこし余裕ができたのか構ってもらえる時間がまた増えてきた。
アニメや新作ゲーム、漫画、様々な知識を脳みそに叩き込んでくれました。
この頃にエンタメ脳は形成されていたんだなと思うと、兄に足を向けて眠れない。
小学校5年、漫画書きと出会います。
これがまた衝撃的だったのを今でも覚えています。
続きは来週書こうと思います。