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レビューRadio現場vol.3『介護って何のためにやってるんだっけ?』(10分くらいで読めます)

2020年11月28日配信の第3回!
吉田さんの裏の方で何かが流れている生放送!!
スタジオは盛り上がっております!ハプニング現場!!!
今回のテーマは『介護って何のためにやってるんだっけ?』と大上段に構える!的な感じの、思いが届けばと。
フリートークスタイルでラジオっぽく行きまっせ〜ということで!
前回のモノマネはすごく不評だったと、人をハッピーにしたい気持ちでいっぱいの吉田さん。
開始13分で、吉田さんの誕生日が森近さんのご母堂と同じであることが判明!(12月3日)ちなみに吉田さんは吉田さんのご尊父と同じ誕生なんだとか。

【スライドどん!】
三大介護ってよく言いますが、食事をし、入浴して、排泄を行う。特に施設系ではこれらの介助にプラスして、移乗その他諸々のクオリティを上げようと躍起になっている。

でもその前に、介護って何のためにやってんの?介護される側は、ただそれを行うためだけに生きているのか? ということについて。
介護する側は三大介護を無意識にそして自動的にやっていることがほとんど。

ご飯食べて、排泄して、風呂入っているだけで、人は幸せになれるのか? なかなか難しくないですか?そんな気づきがあるでしょうか?
食事については、品数が高級旅館レベル・味はミシュラン三つ星とか。
お風呂は総檜木・オーシャンビューの源泉掛け流しとか……にすれば幸せを作れるかもしれないのですが、排泄を楽しくするってなかなかハードルが高い。
いやさ、排泄も楽しいよ!と太鼓判(?)の吉田さん。
ケアプロさん(新卒の看護師さんを良く採用される訪問看護の会社)からの看護師さんと、排泄介助を受ける際に部屋で楽しそうにお喋りができており、それが楽しみだとのこと。

それはそうと、この3つの介護(食事・入浴・排泄)って、そもそも人に手伝ってもらうことが幸せにつながるのでしょうか?
職業・介護だと、慣れちゃってそこに疑問を抱きにくいので、改めての問題提起!
三大介護だけやってQOLが上がるのか?もちろん、ここは絶対領域ではあるのだけれど、これやってるだけで人の幸せを担保できるのでしょうか?

もちろん、その方の好きなことの追求に腐心して、食事・入浴・排泄がおざなりになってしまってはいけないのだけれども、三大介護は、最終目的ではない。それでは、何をするために人は生きるのか?

【スライド】
吉田さんが、サーフィンをしている写真。三大介護の先にあるものとして「今度、これがあるから楽しみなんだよね」が存在するということを挙げてらっしゃいました!
人と飲みに行くのが大好きな吉田さん。会いたい人に会うだとか、旅行に行くだとか、そういったことが人生の楽しみとしてあるのだという。

写真向かって右のナカタニさんは色んな人にサーフィンをさせてくれるインストラクター的な方で、初対面でもファーストネームで呼んでくれるサーファー。
千葉の屏風ヶ浦でサーフィンをしようと単独で乗り込んだ吉田さん。
サーフィン入門時、先に契約書を書かされたという。「何もないけど、一応書いといて」というその契約書には、
なんかあっても、責任を問いませんよ
と書かれていたのだとか。

そして、吉田さんにサーフィンを教えるにあたって、ナカタニさんは、障害があるのはしょうがないけど、障害者根性みたいなのは好きじゃないから、できることは自分でやれよ、と自立支援的な言葉かけをされたという。

吉田さん、ウェットスーツに着替えて、担がれてのチャレンジ。
当日は台風接近で2メートルの波が押し寄せるバッドコンディション。にもかかわらず、なんだかんだでサーフィンが面白かったという吉田さん。
何が面白かったかというと、普段陸の上ではバリアフリーで自分に不都合な環境が見当たらない。でも、海の中は真逆で、自分一人では何一つできない。かといって健常者が自由になんでもできているわけではない。そこの不自由さ加減を体感できるのが面白かったとのこと。
海のもとの平等。

海から上がった後も、すごく雑に扱われたと語る吉田さん。
砂まみれで「洗わないとなー」、でサーファーのみんなからホースでジャブジャブ洗われる吉田さん。全身丸洗い。
公民館前、アスファルトに寝そべり、しかもフルモンティで。

介護の流れでいくと【やったら虐待案件と言われても仕方がない】絶対NGな扱いを受ける吉田さん。でもその場にいたサーファーの皆さんは温かくてフレンドリー。垣根がないイメージ。
「名前なんてぇの?」
「あ、吉田ですー」
「違う違う、下の名前!」
「真一です!」
「真一元気?あ、元気じゃないか!元気?」
みたいなノリがとても居心地が良かったとの感想。

めちゃくちゃ快適だった吉田さん。今まで丁寧にされ過ぎてたな、との気づきが。
介護する側が目指している「不自由さを感じさせないように」では、介護される側の生きる喜びが奪われてしまうのでは?という価値の転換が起こったのだとか。

介護職の感覚としては、日々の介護では絶対転ばせたくないし、なるべくムセこまないようにするし、という決意と共にあるのだけれど、それが窮屈さと繋がっていた。でも守らないといけない……その難しさは依然としてあるのではありますが。

もう一個余談があって、その日、吉田さんがサーフィンをされている現場に、太陽神こと松岡修造が取材で来る予定だとの一報が入る。その時、修造待ち3時間(マスコミは場を仕切るもの)。
公民館の畳の上で3時間臥床せざるを得ない状況の吉田さん。褥瘡リスクありの人を3時間硬い畳の上で寝かせっぱなしにしておくなんて、介護の現場ではありえねーことであります。
その時、体位変換は「ちょっとだけされた」とのこと。
「痛くない?」「痛かったらどうしたらいいの?」と心配されることはあって、サーフィンのお姉さんに床ずれについて説明する吉田さん。
「それなるとまずいの?」→「じゃあ、転がそう」と言いつつ、ちょっとずつ体をずらしながらの、畳の上での3時間。
過剰にケアされてないけど、こっちは海見て楽しいし、みんな話しかけてくれるし。こんなに気を遣われないってなんて楽なんだろう!という気づきもあったのだとか。

介護における作用反作用の法則>介護する側が気疲れしている時って、介護される側も同じ量疲れている。そう考えた方が良いという経験則。その気疲れを心配しなくて良かったという今回のサーフィン体験。
楽しかったけど、色々なことに気づけた。たまたま一緒に行ってくれる専門職がいなかったので、身一つでサーフィンへ行った吉田さん。何一つ予定どおりに行かなかったけど、すごく面白かったのだそうです。

未知の体験にチャレンジすることが、被介護者には殆どない。失敗する権利すら奪われているともいえる。
三大介護をしっかりやる、だけでは受ける側がぼんやりしてしまう。刺激があった方が張り合いが出てきて、人生が輝く。活き活きとする。
守られていない時間と空間に身を晒すことって大事。人生は冒険だ!

介護って、楽しいことをする日(ハレの日)を経験するため、日常(ケハレの日々)を維持するための営みなんだろう。そう考えると、イベントごとを楽しいことにしていかなければならない。それは施設介護であればなおさら。
(※ちなみに、“ケの日”は不幸を悼む時間を示す、と最近知りました)
それには、辛いリハビリなどが行き着く先を見通せる希望が必要だし、またイベントごとを心の底から楽しめるような個々人の工夫が求められているように思う。
現場には駒は揃っているのよ。ただ、指し方が下手くそで、まさに船頭多くして船山に登る状態。
介護って介護職だけがやることではない

『介護ってなんのためにやってる?』森近さんの回答は、
働く介護の中で、事業所によって定義が随分違っていて、その中で正解を作るとすれば、利用者の満足度を上げることはもちろん、職員のやりがいも生み出し、さらに経営的にも成り立てば良いのでは?そして、そのバランスが崩れるとおかしなことになるのではないかと思っているという。
某テーマパークばりに利用者の満足度を爆上げしていくというのも違う。あれと同じおもてなしの密度を求めるのはちょっとベクトルが違う。ハレとケハレとケの問題。
あとは法令遵守ができていれば、という。
法解釈の問題はあれども。

デイのレクリエーション、ありきたり過ぎてつまんない問題。
みんなで唱歌を歌いましょう、とか、手遊びをしましょうとかは、自分に置き換えてテンションダダ下がりだろうなぁと仰る吉田さん。
その人がやりたいことをやってもらった方がいいとは感じているという(森近さんが挙げた麻雀には賛同されていた)。色々難しいところはあるだろうけど。

介護職として、何のために介護をしている?との問いへの答えは、あまり何のため?とか大上段に構えない方がいいのではないか?と森近さん。
「待ちの姿勢で、不具合が出てきた時にちょっと支える」いわば後の先の心構え。吉田さんは受け身だけどポジティブと表現されていた。

先回りの介護は、利用者をワクに嵌めてしまう。それぞれの正解に自分たちがそれぞれ向かっていく感じ。
吉田さんの一番好きな介護士さんに介護のコツを聞いてみたところ「その人の好きになれるところを必ず見つける」「例えば吉田さんだったら、すごく要求は厳しいけど働き者なところ」といった返答があったのだという。
さらに、どういう状況になったら介護職的に喜ばしいか?を聞いたところ「吉田さんがやりたいことをやれてる感じになったら嬉しい」との答えが返ってきたとのこと。

介護されている側は、大体の場合問題を抱えていて、大体の場合人間関係に難しさを抱いている。抱えているものを忘れさせてくれるような時間を作ってもらえると良いのではないだろうか。
介護ってその人が幸せになれたような気持ちになるとか、実際に幸せになるとか、だと良いなという そんなまとめのお言葉。

1時間ってあっという間なんだけど、帰りたい時の1時間はとても苦痛。同じ1時間を濃密に過ごせるかの工夫を大切にしている、と森近さんは話される。

過ごし方に個性を出せるような環境づくりと直接支援。これが結論!
恋バナは後回しだ!

・2022/12/26の気づき
 >ゲスト回に比べると、ゆったりとした進行。考える余地を与えてくれるので、ゲスト無し回では哲学的なお話しがいいのかもしれないです。
・2022/12/28の気づき
 >介護学というものがあるとするならば、医療における経験則に良く似たエビデンスに乏しいが有効である現場での対処法を言語化してゆくことも大切なのでは?
 >介護職だけがやることでないという日常生活の中で災害ユートピアを作るような技術という側面もあるのかもしれない。

以下、vol.3を拝見した当時のマイツイート(長め)2020/11/29
(深夜2時台)

・レポートをなんとかあげることができたので視聴しましたよ #Radio現場  Vol.3。
「おでんの売り方🍢」
;ちょっと静岡おでんの店に行きたくなった。

「介護って何のためにやるの?」
;自分は笑っているのを見てるのが好きなのだ。それはもうざっくりとボーダレスで。

・「何のために生きるのか?」;でアンパンマンを思い出す。

「三大介護について」;出来るまでに助けの要る事が、やがて独りで出来るようになり、それを誰かと一緒にするのが違和感となる。そして一緒が必要になる。

・;自分は施設介護専門だけど、手一杯だなぁ。三大介護で。
正確に言うと、三大介護+“いかに時間の無い状態から余裕をつくり出す工夫”で手一杯。

そういえば、手一杯と目一杯って似てる。

・「海の中の不自由さ」;
『コロナ禍では誰もが障害者』を思い出した。不自由さの実感という幸福→平等というか、ボーダレスな世界観。壁を感じない。
“生きる喜びは、不自由の中にある”

・「吉田さん修造待ちで畳に3時間放置の話」;『やっちゃダメ!』な事をするという背徳感。
でも、介助する側とされる側の壁を感じないという感覚。

「被介護者って、初めての知らない事するのって、なくないですか?」;刺激がないと、日陰でぼんやり育った道草みたいになりそうで、という意識は、介助する側もされる側も持っていた方がいいかも。

・「サーフィン体験」の話を聞いて;介護も砥石と同じで粗いのときめ細かいの両方あってもいいんじゃないかと。
欲言えば、色んな‘粗さ’を取り揃えるのがいいんじゃないかと。

・もりちかさんの「レク他の自立支援って、介護者が先手を取ると枠にはまってしまう」;こちら(介護する側)が見てるようでいて、される側に見られているんだろうな。気を遣っているようでいて、遣われているのだろう。

・「忘れさせてくれる時間って大事」;舞台装置を生活の場に!
敢えて介護の場に!とは言いません。

以上、「」内が心に留まったお話の意訳で、;以降が自分の思いついた感想。

個人の思いつくままにて。
結論=今回も楽しかったです!

#Radio現場  vol.3

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