日常#41

今日は帰省をするために電車で移動をしているのですが、いつものように文明の利器である新幹線を利用するのではなく、青春18きっぷをつかってJRでのらりくらりとかえっていますが、JRだって文明の利器ですよね。
中学の地理の先生が雑談として学生時代に青春18きっぷで旅行をした話をよくしてくれてたからもともと少し興味はあって、そのうえ最近友人が薦めてくれたから、じゃあ行くか〜という感じ。ピンぼけしたような日常を送っていたけど、今日で少しピントがキリッとした気がする。

朝9時に電車に乗って、早川駅から根府川駅のあいだに窓からみえる海に胸を躍らせて、サーモンの押し寿司の駅弁を食べた。
東京から名古屋方面に帰るときは進行方向に向かって左側の席に座るといいんだなと知った。車窓からの景色が最高でした。

JRに強制的に向かい合わせになる4人がけの席があるのはデフォなんですかね? 知らない人と向かい合わせになって1時間乗って、気まずかったとかもあったんだけど、そういう人と一期一会の会話を楽しめるようになりたいもんですね。 いや、1人だったらけっこう知らない人にも話しかけるんだけど、今日は友だちと一緒だったから今度ひとり旅をして喋ってみようかな。

浜松に住んでいる友だちがいるので、車で迎えにきてもらって、じゃあ鍾乳洞行こうぜ!  となったので小1時間くらい車で精密採点DXの入っていないカラオケをしたり、1年間大学生してどうやった?バイトは?恋愛は?サークルは?みたいな話をしながら車に揺られて、高校生に戻ったような気分になった。ような、と書いたのは一緒にチャリを飛ばしながら話していた彼が車を運転していたからで、少し大人になったんだなという不思議な感覚がした。


少し昔の恋愛の話をするんだけど、この浜松の彼は自分が同性に恋をする最初の契機になった人で。
中学生のとき、部活もクラスも同じだった浜松の彼は一番の親友で、友情と恋情と性欲が混ざりあって不可分だった当時のぼくは彼女がいたのに彼のことを恋愛的に好きになっていた、と感じていた。いや、あれが恋だったのかは明言できないけど、間違いなく特別な好きだった。バイセクシャルという存在を知らなかった当時の自分は彼女への好きと彼への好きを区別できずに悩んでいて、あろうことか、怖いもの知らずの当時のぼくは彼に「お前のこと、なんかめちゃくちゃ好きなんやけど、けど俺は○○と付き合ってるし、これはなんなんやろ?」という相談をした。信頼関係あってこそだと思うけれど、彼がアウティングをせずにイロモノキャラとして扱われなかったことに感謝するばかりだ。そうしたら彼が「たぶんお前はバイセクシャルなんじゃない?2人の人を好きでいるのは悪いことじゃないと思うけど、俺を好きでいるのか○○を好きでいるのかはちゃんと選ばないといけないよ。だけど、俺はお前のこと恋愛的に好きにはなれないよ。」と伝えてくれて、彼とは親友、彼女とはそのまま付き合うという道を選択できた。彼の言葉はいまの自分を形成している大切なもののひとつだ。どうせあいつは覚えてないと思うけどね。

彼の助手席に乗って、夕方柔らかい暖色が車に満ちる中、満月が綺麗だったから「あー今日満月なんやねーめっちゃ綺麗やねー」と何の気なしに言った後に、あぁ、月が綺麗ですねみたいなこと言っちゃったなと思ったけど、そうさらりさらりと思っただけで、尾を引く感情が付いてこなくてよかったなって思った。彼と付き合っていたらと想像したり、頭がいっぱいになったり、昔の記憶を抱きしめたりはせずに、ただ、さらさらと  あーすきだったなー今でも好きだなと思った。

学生時代の恋愛ってどうしたってどこかに傷を負うように思う。ぼくはいろんな人の昔の恋愛の話を聞きたいし、読みたい。告白した、付き合った、フラれたみたいなのだけが恋愛だとぼくはあまりおもわない。中学生、高校生のときの強い感情というのはどれも恋と見分けがつかないような気がする。憧れとか友情とか嫉妬とか欽慕とか性欲とか嫌悪とか、全部恋と不可分な気がする。
その話の温度感だったり、間の取り方だったり、息継ぎだったりからその傷がまだ血を流しているのか、カサブタのままなのか、痕すら分からないのかを知りたい。


浜松を後にして、先に書いたようなJRの強制4人がけシートで僕と友人2人プラス仕事帰りむちむちサラリーマンの4人で座って、野球の中継を見ていたんだけど、ごめんよ、むちむちサラリーマン。気まずい思いをさせて。
野球よりもむちむちリーマンの方が興味があるのとシンプルにリーマンへの申し訳なさからぼくは大谷選手がホームランを打ったとき以外はこうして日記を書いていたんだけど、大谷選手は日本人の模範解答のような顔面をしているし、ぼくが欲するものをすべて持っているし、ぼくが持っているものはもれなく持っているなと思う。ただただ、すげーなーと思うだけなので、嫉妬は同じステージの人間にしか抱かないというのは本当なんだなと思う。それと山川穂高選手はどうしてあんなにかわいいんだろうな、ベビースキーマを満たしているな、うんうん、あ、ぼくと目が合った、うわーかわいいかわいい死んだ死んだ、いやこれはカメラ目線になっただけか〜〜〜などと思っていた。
野球はぜんぜん分かんないけど、友だちとそれぞれの推しの野球選手をかわいいかわいいと愛でながら試合を見て、お酒を呑むだけの会をいつか開きたい。


明日も友だちと会ってくるんだけど、徐々にピントが合っていくような感覚がする。友だちのことが好きだな〜っていう当たり前のことを再確認しているのが心地いいなと思った。

今日は日記らしく終われそうです。

また書きます。

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