日常#77
誰かに教えてもらった失恋の曲、だったり誰かが口ずさんでいた失恋の曲のなかで気に入ったものを聞いていると、その人と長い時間、まるで小さな子どもが夏祭りの屋台で買ってもらった、自分の背丈の半分ほどもありそうなわたがしをちいさくちいさく食べるように、丁寧に恋をしていたような感覚に陥ることがある
その失恋の曲を好きな気持ちがそれを好きだといったひとを恋慕する気持ちのようにすりかわってしまう
夏のじめじめしている夜道を歩くときに聞くと決めている、そうした曲があってそのたびにその曲を教えてくれた彼女とのありもしない過去についておもいを馳せることがある
けれど、その曲が終わると水にいれたわたがしがたちまちに消えてしまうようにそのおもいも消えてしまう
通り雨だ
効きすぎた冷房に凍結された体を解凍してもらうときだけ外の暑さに感謝する
それもつかの間ですぐに暑くなるが、その頃にはまた地下鉄に乗り込んで再冷凍される
肉とかなんか生鮮食品の再冷凍はよくないと聞くが、どんな作用があるのかはよくしらない
東京という街は凍狂であり、人々の鮮度を下げる街だ
新宿の人混みを、大声で歌い出したい衝動を抑えながらひとりで歩いている
それを実際に叶えることは自分の中の他人たちが許さないためにないが、南口の道路を挟んだ二つの歩道のそれぞれで声を張り上げる人たちを見て羨ましく思うことがある
では、カラオケに行けばいいというわけでもなく、むしろそれは駄策で、カラオケという暗黙の了解で満ち満ちた場所は都会と一緒で息が詰まってしまう
川辺で歌いたい、誰かと一緒に歩いて口ずさみたい
音程バーとかみんなが知っている歌を選ばなくてはとかAメロBメロがうろ覚えで誰かが歌ってるときに耳にスピーカーを当てて聞こうとするもあんま聞こえなくてデンモクを机に静かに置くこととかもなく、ただ、誰かもう一人と川辺に沿ってうろ覚えの歌詞を二人で確かめるようにじゃりじゃりと歩きながら歌いたい
聞いたことがあって、それなりに好きだけど、曲名が思い出せないくらいの曲を隣で歌っていてほしい
それなんだっけ? と聞いたら、そうだな、例えば羊文学の「金色(きんいろ)」だよ、と返されて、あれ?それって「金色(こんじき)」じゃないの? いや、知らないな〜とふたりで重ねて、「彼女の人生は金色(きんいろ)」と出だしを歌い始めたところで、あぁ金色(きんいろ)じゃん、とかたい結び目が解けるみたいにわらう、そんな会話をしたい
新宿のような人の多い街なかでベビーカーを見かけると善意と信用だなぁと思う
そこそこの狭さの道で車とすれ違うときなどにもそう思う
赤さんが景色を見られるようになっている。前向きのタイプのベビーカーを見ると今ここで、頭のおかしい人間がベビーカーに向かって殴りかかってきてもおかしくないのになぁと考えてしまう
けれど、きっと赤さんの発育的にはいろいろな世界の姿を見られる方がいいのだろうが、それでもやっぱり怖いなぁと思ってしまう
歩道と車道の区別のないくらいに狭い道路でも、今ここで運転手の気が狂れて自分に突っ込んできてもおかしくはないなぁと思う
そこで身を守る行動をとるわけではないのはやはり平和ぼけというか、無条件の信用、性善説だなぁと思う
また書きます
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